江戸時代中期、九代将軍家重、十代将軍家治に重用された田沼意次は、側用人を経て老中となり、幕政の実権を掌握した。失脚するまでの「田沼時代」は、疫病の流行や寒波、洪水などの災害に次々と見舞われた時期でもあった。浅間山の大噴火もその一つで、本書は「天明大噴火」を題材にした群像劇である。
天明3年(1783)7月、浅間北麓の鎌原(かんばら)村に住む音五郎は、酒の売り込みで隣村へ出かけた。留守にした間に浅間山が大噴火を起こし、山津波に飲み込まれて鎌原村は甚大な被害を受けてしまう。人口570名のうち、生き残ったのは93人だけだった。
同年8月、幕府勘定吟味役の根岸九郎左衛門は、天領の検分を命じられて上野国を回る。最後に検分した鎌原村は荒れ野と化していた。絶望的な状況だが、4人の若衆が復興を望む。廃村と移住を主張する代官の原田清右衛門を振り切って、根岸は鎌原村の再建に尽くそうと決めた――。
壊滅的な被害のあと、根岸が鎌原村に来て動き出す本書は、大噴火からのおよそ半年間を描いた「復興小説」だ。群像劇だが、軸となる人物は根岸と音五郎である。生活の困難を幕府が助ける「御救普請(おすくいぶしん)」ばかりを担当し、とぼけた風貌と大柄な体で「ダイダラボッチ」とあだ名される根岸と、気が強くて生意気な若者の意味で「なんかもん」と呼ばれる音五郎。2人に共通するのは、世渡りが下手で、失敗した経験を持つことだ。失敗を通して「故郷」の大切さを知った2人の言動がつぶさに描かれていて、引き込まれる。
御救普請は、今で言う国の公共事業である。生き残った人々は心に傷を負って、家族を作り直しての再建は難航する。そんな鎌原村に焦点を当てながら、物語は「田沼時代」の世相に斬りこんでいく。諫言を重ねる根岸は幕閣から煙たがられていて、中抜き目当てで江戸の町方から横やりが入る。現代と重なるところは多く、全編を通して〈そなたは人間が強く、美しいと思うか?〉という問いを投げかけてくる。また、大人から子どもまで、視点を巧みに切り替えていく語り口も読みどころだ。
根岸九郎左衛門は、随筆『耳嚢(みみぶくろ)』を残した実在の人物だ。近隣の村の名主たちと協力して、鎌原村の生存者が生まれ育った故郷にいられるように奔走する。いつの時代も、保身を優先して何もせずにやり過ごす人と、覚悟を決めて一生懸命に頑張る人がいる。根岸は妖怪好き、奇談好きの設定で、妖怪のモチーフが物語に彩りを与えている。
〈いつか人生を振り返った時、歩んできた来し方をよしと言えるなら、大切な者たちの死を無駄にしなかったとは思えねぇか? その時初めて、その死が生きてくるんじゃねぇかな〉
故郷とは、政とは。未曾有の天災と、それからの群像を活写した長編小説だ。
あかがみりょう/1972年京都府生まれ。同志社大学文学部卒業。2017年、「義と愛と」(『大友二階崩れ』に改題)で日経小説大賞を受賞しデビュー。23年『はぐれ鴉』で大藪春彦賞受賞。他の著書に『計策師』『立花三将伝』『太陽の門』『仁王の本願』『友よ』『誾』など。
あおきちえ/1964年、兵庫県生まれ。フリーライター・書評家。日本推理作家協会会員。読売新聞、東京新聞などで書評を担当。