『秘密の花園』(朝井まかて 著)日経BP 日本経済新聞出版

 曲亭馬琴。『南総里見八犬伝』を書いた戯作者といえば、ぽんと手を打たれるお人も多いはずだ。教科書にも出てきた人のお話か、どれどれとページをめくっていただくと、62歳の曲亭馬琴の語りから始まる。あなたは語感が豊かなその読み応えに驚くはずで、そして時折かちんとくることだろうと思う。語りの端々から覗くその偏屈さ。一人称で書かれているから、自分のその性分に気づいていない様子にも眉を顰めたくなってしまう。しかし、著者が美しい文章で綴るものだから指は止まらない。ページを次々捲ってしまう。

 本作は馬琴が14歳のときから、八犬伝を書き上げるまでの人生を追う一代記である。ならばこれから、この主人公に寄り添って読んでいかなければいけない。大丈夫かしら。馬琴というこの男、好きになれるかしら。不安を持たれるかもしれないが、安心してほしい。

 読み終わるときには、愛おしくてたまらぬようになっている。

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 馬琴は冒頭からお分かりの通り難儀な性格をしているが、その難儀さが文章から滲み出ているのは著者の類い稀な腕ゆえだ。例えば几帳面さ一つをとっても、古典をよく引く馬琴ならではの比喩や表現が沢山使われ、旅の場面ではどこへ行くにも情景を細かく描写、家族と外出をする際も猫に餌をやったかどうかまでが書き込まれている。馬琴本人が書いているのではと錯覚するほどである。

 その性格になるに至った人生は確かに楽なものではない。

 幼くして父を亡くし家督を継いだが、仕えた若君からの仕打ちに耐えかね出奔する。学問好きが高じて戯作者を目指し、当時の人気作者である山東京伝や、板元の蔦屋重三郎、絵師葛飾北斎と関わり合いながら、戯作を続ける。

 執筆への執念、武士という身分へのこだわり。それらを追求するあまり振り落としてきたものはいくつもある。妻の百はたびたび癇癪を爆発させ、息子の宗伯は病気がち、息子の嫁である路の扱いに馬琴は悩むが、逆に当人たちの馬琴への懊悩はいかほどのものだったであろうか。

 だが、著者は馬琴のその厄介さを隠したりしない。難儀な性格ゆえの考え方や行いをありのままに、そして丹念に余すことなく書き綴るのは、その厄介さを含めて、著者が曲亭馬琴という人物を愛しているからではないだろうか。

 どうか本作を読んで、その愛を思い知ってほしい。

 様々な人間の生死が通り過ぎ、自身も目が見えなくなった老年も、息子と共に草花を丹精した花園を胸に抱えながら、馬琴はなおも文机に向かい続ける。

 100年後の世にも読み継がれ、我が秘めたる真意を知る朋友に出会わんことを、とその一心で。

「読者よ」と切実さをもって語りかける馬琴の熱意に、私は叩きのめされた。

あさいまかて/1959年大阪府生まれ。2008年、小説現代長編新人賞奨励賞を受賞しデビュー。14年『恋歌』で直木賞、18年『雲上雲下』で中央公論文芸賞、『悪玉伝』で司馬遼太郎賞、21年『類』で芸術選奨文部科学大臣賞と柴田錬三郎賞を受賞。
 

せみたにめぐみ/1992年大阪府生まれ。2020年『化け者心中』でデビュー。『おんなの女房』で吉川英治文学新人賞等を受賞。