面倒臭さもさることながら、私のような苦手意識がだしを取るハードルになっているのではないだろうか。ずっとそう感じていたところ、7年前、90代になるレジェンドな料理研究家に取材した際に「今の人は、だしといえば昆布とかつお節ってすぐ思うでしょ。でも昆布は高いから毎日使うのは大変じゃない。昔はそんなことなかったのよ」と言って、普段は煮干しを使うように勧めてきた。その言葉を聞き、「そうか、今は昆布とかつお節の“正しいだしの取り方”に縛られすぎているのかもしれない」と気づかされた。
同じ頃、料理のプロからだしをもっと気軽に捉えようというメッセージが発せられるようになった。その筆頭が、文庫と合わせ33万部のベストセラーになった料理研究家の土井善晴(よしはる)による『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社、2016年)だ。同書では繰り返し、具材のうま味があれば必ずしもだしは必要ないことが語られる。
では、いつから合わせだしが“正しい”だしの取り方として広まったのだろうか。
戦後に普及した合わせだし
伝承料理研究家の奥村彪生(あやお)は、だしについて「昆布も鰹(かつお)節も、これほど使われるようになったのは、流通が発達したからです。ただし、昆布は圧倒的に京阪(けいはん)中心で、全国的に使われるようになったのは戦後になってからです」と述べている。
もっとも、遅くとも室町時代には今と同じ意味でだしという言葉が使われるようになり、合わせだしも江戸時代には使われていたことが古い料理書から確認できる。ただ、江戸時代の料理書は料理人向けが多く、日常的な食事とは隔たりがあった。合わせだしを使うような高級料理はごく限られた人しか口にできなかったと考えられている。
昆布だしが関西で広まったのは、昆布が北海道から北前船(きたまえぶね)で大量に運ばれ、入手しやすかったこと、水質が昆布からだしを取るのに適した軟水だったことが主な理由だ。一方、関東は流通に不利なだけでなく、水質も硬水のため昆布のだしを取るのには向かず、かつおだしが主流になったとされる。
明治になると、家庭向けの料理書にだしの取り方が説かれるようになる。が、実際に調べてみると最初に記されているのは、ほぼかつおだしだ。たまに合わせだしへの言及もあるが、現在のように水から昆布を煮る取り方は、大正末期から昭和初期の料理書にようやくいくつか確認できるくらいで、浸透していたとは言いがたい。
たとえば1928年(昭和3)刊行の『食物辞典』(沢村真著、隆文館)では、「煮出汁(にだし)」の項に合わせだしはなく、かつお節、昆布、しいたけの単体のだしだけ。しかも昆布だしは水から煮るのではなく、煮立たせた湯のなかに昆布を投じるとある。つまり、戦前までだしといえばかつお節が主流で、合わせだしの取り方にもバリエーションがあったのだ。