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過熱する「味の素論争」の裏で「だし」がブームに…日本で「だしの素」が大ヒットした“知られざる背景”

『味なニッポン戦後史』より #2

2024/05/15
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 ここで注目したいのは「煮出汁」という言葉だ。

 調べるなかで気づいたのだが、明治から昭和40年代初めまでの料理書の多くが「煮出汁」という表現を使っている。厳密に使い分けられてはいないが、単にうま味のある液体を指すときは「だし」、煮てつくる場合は「煮出汁」が用いられることが多い。その使い分けが消えていくのは、昭和40年代に入ってからだ。1968年(昭和43)刊『料理用語食品辞典』(河野友美編、真珠書院)では「ダシ(煮出汁)」と記されている。ちょうどこの頃が、言葉が切り替わる過渡期だったのだろう。

 言葉が変わりゆく背後で、どんな変化が起きていたのか。そこに合わせだしが一般化したヒントが何やらありそうな気がする。

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「だしの素」の登場と反動

 手元に『味噌汁三百六十五日』(婦人画報社)という本がある。この本は1959年(昭和34)の刊行後、何度も版を重ね、私が持っているのは1970年(昭和45)に出された新版だ。著者は、京都の懐石料理の名店「辻留(つじとめ)」店主の辻嘉一(かいち)。牛乳仕立てのトマトとハムの洋風みそ汁なんてものも登場し、書名通りバラエティに富んだみそ汁百科だ。

 本ではだしについても当然、詳しく解説している。材料のよし悪しをひとしきり説いた後、最初に登場するのは、かつお節と昆布のだしだ。作り方を鍋の温度と時間のグラフつきで細かく示し、「鍋のそばを離れては、とうていよい出し汁はとれない」となかなかに厳しい。

 1965年(昭和40)にも似たタイトルの『味噌汁と漬物365日』(講談社)という本が出版されている。こちらの著者は大阪で割烹(かっぽう)料理を学び、料理学校を開いた土井勝(まさる)だ。先述の土井善晴の父で、「おふくろの味」を広めたとされる人物である。父のほうは息子とは異なり、「汁もの用の煮出汁として最も基礎になるもの」として、合わせだしの取り方を最初に紹介している。

 辻は京都の懐石料理、土井は大阪の割烹料理と、2人の出自が合わせだしを基本とする関西の料理屋だったことは注目に値する。おまけに2人は、NHKの料理番組『きょうの料理』の花形講師であり、その影響力は絶大だった。

 同番組がスタートしたのは1957年(昭和32)のことだ。さらに昭和30年代半ばには民放各社でも次々と料理番組が登場し、料理学校も盛況を呈した。

 1961年(昭和36)2月17日の朝日新聞夕刊には「大ばやりの料理学校目立つ主婦の生徒さん」との見出し記事がある。「家庭電化などによる余暇を利用してのいじらしさか、食生活の“改善”を目ざす顔はいずれも真剣そのもの」と書かれ、魚菜(ぎょさい)学園と思しき東京・自由が丘の料理学校が、割烹着やエプロン姿の女性たちでにぎわう様子が写し取られている。