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 だがそれから20年が経った2024年の今、宮﨑駿や新海誠のアニメーションは世界を席巻し、日本国内では空前のアニメ需要によって腕のいいアニメーターの争奪戦が起きている。宮﨑駿の最新作『君たちはどう生きるか』で、別のスタジオから引き抜かれる形で参加したアニメーターの本田雄が、「全編、手書きでやる」(『君たちはどう生きるか』企画書)という宮﨑駿のスタイルに惹かれたことを『文藝春秋』(2023年9月号)のインタビューで語っているのは象徴的だ。

 一度はスタジオを閉鎖したディズニーが2021年に少数ながら手描きアニメーターの育成募集を出した、という報道もあった。もう手描きアニメなど時代遅れだ、と言わんばかりに才能あるアニメーターたちを解雇した21世紀初頭のディズニーの経営判断とは裏腹に、「人間が絵を描き動かすアニメ」は今、明らかに復権しつつある。

「AIによってキレイな映像が簡単に作られるようになってきているから、こういう人間が描く線に活(い)きがあると思います。AIが人間のまねをして下描き線を再現したとしても、それはただのデザインになってしまう。それは偽物です。人間が描くからこそ意味がある線なんです。こういうことができるのは、今が最後かもしれないけど、それにこそ価値がある。」MANTANWEB(ルックバック:AIでは表現できない線 人間が描く意味 押山清高監督インタビュー(2))

 これからは3DCGだ、とディズニーがアニメーターを解雇した21世紀初頭のように、これからは生成AIで絵が描かれ、手描きの絵などいらなくなるのだ、と叫ぶ人たちもいる。アニメーション映画が次々と巨大な興行収入を上げるのを見て巨大商社をはじめとする資本がアニメ制作に参入する報道が続くが、才能あるアニメーターたちは金だけでは引き抜けない。

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 宮﨑駿から押山清高に至る、日本アニメの絵の才能の集積を生成AIでコピーして無断利用することができれば、代価を払わずに巨大な利益を上げられると夢見る企業もあるのだろう。だがおそらく、それでも人間が絵を描く文化、それを人間が見る文化はなくならないだろうと感じる。

絵を描くという「魂のスポーツ」

 押山監督がインタビューの中で語る言葉は、映画の内容とも深くリンクしている。映画の中で、小学生の藤野は学級新聞に掲載された京本の絵に出会い、衝撃を受ける。まだ顔も見たこともない登校拒否の同年代の少女をライバルとみなして猛練習を重ねる藤野の姿は、まるで絵を描くことで魂のスポーツをしているように見える。

映画『ルックバック』本予告より

 そしてこの「魂のスポーツ」の感覚は、映画パンフレットの中で「同い年の絵描きは気になってしまう」と語る藤本タツキはじめ、多くの絵描きが共有する感覚だ。