わずか58分間のアニメーションだが、こうした絵と演出の細部の技巧を数え上げればキリがない。藤本タツキの原作コミックが白と黒で描かれたシンプルな楽譜だとしたら、それを絵のオーケストラとして演奏するような広がりが映画版の『ルックバック』にはある。
藤本タツキの絵柄をコピーするだけではなく、コマとコマの間にひろがる空白の時間を「藤本タツキならこう描くだろう、藤本タツキが描くこの年齢の藤野ならこういう絵を描くだろう」と二重三重に想像して線を描いていくような「感性のシミュレーション」がそこにはある。それは人間が人間を想像しながら描く手描きアニメの醍醐味だ。
それはこの映画のパンフレットに掲載された原作者・藤本タツキとの対談の中で、監督・押山清高の「僕自身も絵描きなのでむず痒いですが、この作品が絵描きへの讃歌になってほしい」と言う言葉にも表れている。絵描きのエモーションをダイレクトに出すために原画をそのまま画面に映すという手法を説明しながら、押山監督は藤本タツキが一コマごとに絵柄を探りながら描いていると感じるところこそ、「そこが人間が描く絵の生々しさで、魅力なんです」と語る。
「人間が描く絵の生々しさ、魅力」という言葉は、単に『ルックバック』に関する藤本タツキや押山清高の手法だけではなく、日本のアニメ・マンガ文化の本質を表現しているように感じる。
スタイルが厳格に統一されたディズニーに比べ、日本のアニメはアニメーターの個性が強烈に出るスタイルだ。「宮﨑走り」「金田パース」など伝説的アニメーターの名前を冠して呼ばれる絵は、それ自体を解釈し鑑賞する観客も含めたひとつの文化を形成してきた。
絵が上手いと一言で言っても、宮崎駿の上手さと大友克洋の上手さ、鳥山明の上手さはすべてちがう。そうした「人間が描く絵の生々しさ」を感じ取ることができる観客、成熟した市場を国内に確立したことが、『ルックバック』の10億を超えてまだまだ軽々と伸びる興行収入は証明している。
「人間が絵を描き動かすアニメ」の復権
ディズニーは21世紀に入り、時代は3DCGに移行すると見て手描きアニメーターを大量に解雇した。ネットには今も、2004年にディズニーがフロリダのアニメスタジオを閉鎖し、97年には2200人もいた才能あるアニメーターのほとんどを解雇したことを報じる記事が残っている。アニメの本場であるディズニーがそうなのだから、時代はCGに移行し、手描きアニメなどいずれ廃れていくのだ、という未来予想が当時はあった。