若い男女が訪れなくなった「えんむすびーち」
石川県の取りまとめでは(2024年8月27日時点)、死者97人(他に関連死25人)・重傷者47人・軽傷者202人。5519棟もの住家が損壊し、うち1731棟は全壊だった。
中でも見附島がある宝立(ほうりゅう)町は深刻だ。
小中学校のある市街地では軒並み住家が倒壊したうえ、津波に呑み込まれた家も多かった。
そこから歩いて10分ほどのところにある見附島の周辺も惨憺たるものだ。
電柱が傾き、全壊の住宅が骸(むくろ)のような姿をさらす。ニョキニョキと隆起したマンホールは切り取られるなどの応急処置が進んでいるものの、道路や駐車場などの地面には津波が運んだ砂が今も残る。
見附島が眼前に見える園地では、津波の痕跡が生々しい茶屋にブルーシートが張られていた。傾いた公衆電話ボックスにもブルーシートが巻かれたままだ。
そこから南へ3kmほど下った恋路海岸までは「えんむすびーち」と呼ばれていた。見附島を正面に見る海岸には鐘が据え付けられている。鳴らすと恋が成就するのだという。
だが、鳴らしに訪れる若い男女はいなかった。鐘の周囲はアスファルトや土がえぐられ、地中の基礎がむき出しになっている。コンクリート製の境界ブロックや護岸も散乱し、津波の破壊力のすさまじさを物語る。
コーン、コーンと鳴らす人がいなくはない。だが、恋への願いではなく、「こんなことになっても鳴るかどうか試してみた」「鎮魂の意味も込めて」と話す人もいた。
「兄に奥能登の被害の実情を見せて回っています」
訪れる人は高齢者の割合が高いように感じる。「どこから来られたのですか」。そのうちの一人に声を掛けてみた。
「地元です」。70代の女性が答える。車で5分ほどの集落に住んでいて、「大阪に住んでいる兄に見せに来ました」と話す。
女性は同じ能登半島でも志賀(しか)町の生まれだ。10歳ほど上の兄は大阪へ出た。女性は結婚を機に珠洲市に移り住んだ。
志賀町の実家は別の親族が継いでおり、ケヤキをふんだんに使った頑丈な造りだ。それでも今回の地震には耐えられず、全壊になった。最大震度7を計測した観測点のすぐ近くなのである。
珠洲市の自宅も全壊だ。「親類の家はことごとく全壊です。ケガをした人がいなかったことには救われましたが」と話す。
実家や女性の自宅は解体せざるを得ない。しかし、大阪の兄は元大工で、「いや、直せる。俺が直してやる」と聞かなかった。
「遠くに住んでいると、ニュースや情報が少ないせいか、どれだけ酷いありさまか分からないのです。だから発生から半年が経過し、少し落ち着いてきたので、実家や私の自宅、そして奥能登の被害の実情を見せて回っています」と語る。
兄は自分の目で見た「現実」に愕然とし、声が出ない様子だった。