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「最初は報道記者としてご挨拶したのですが、その1カ月後くらいに、たまたま浜松支局に異動になり、それを浜松市で暮らす秀子さんにお伝えしたら、数日後に『私が持っているお部屋に入らない?』と電話でお誘いいただいて」

秀子さんと笠井監督は、取材対象者と報道記者というだけでなく、「家主と店子」の関係となる。家賃を支払いに行ったり、笠井監督の母親がお歳暮を持参したり、秀子さんが笠井監督の実家に遊びに来たりと、仕事とプライベートの両面から交流がスタートした。

映画では、巖さんが釈放された瞬間の表情や、釈放後最初の夜に姉弟が枕を並べる様子、拘禁反応の続く巖さんとそれを見守る秀子さんの姿などをありのままに映し出す。なぜここまで秀子さんからの信頼を得たのか。

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実は、冤罪の可能性が出て以降、再審判決が言い渡された今でこそ多数のメディアが取材しているものの、2014年の釈放前は袴田事件を取材しているメディアはほとんどなく、「完全に忘れ去られた事件」だったと言う。そんな中、弁護士や支援者以外でたびたび訪れる人が珍しかったこと、笠井監督が女性だったこともあり、仲良くなっていったそうだ。

22年にわたりカメラを回し続け、2014年釈放の瞬間も記録

そもそも笠井監督が秀子さんに初めて連絡をとったのは、袴田事件を知った時に、巖さんが独房で母親など家族に宛てて書いた手紙の存在を知ったのがきっかけ。その実物を見せてほしいと連絡し、実物を実際に見て、触れて、読むうち、大きな衝動に駆られる。それは無罪かどうか以前の、もっと根源的な人間への興味からだった。

「隔離された独房の中で、誰の目にも触れず、声も聞かれず、明日死刑が執行されるかもしれない、そのために生かされている人が、今この瞬間もひっそりと息をしていると考えたら、何かせずにはいられない思いになりました。その人がどんな気持ちでずっと過ごしているのか、人間が生きるということがこんなことで良いのか、人間の有り様に対する哲学的な興味が湧いてきて、知りたい気持ちが大きく、動かずにはいられなかったんです」