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確定死刑囚の弟を長年支えるのは並大抵のことではない。お金の問題もある。

そんな中、秀子さんは経理のスキルを身につけ、自身は会社に住み込みで働き、質素に慎ましく暮らして家賃や生活費を最小限に抑えながら、切り詰めたお金を東京に行く旅費や、毎月必ず面会に行くと決めて巖さんへの差し入れのお金(1万円~2万円)にあててきたそうだ。

釈放後の巖さん「私が全知全能の神、唯一絶対の神だ」

さらに、巖さんが釈放された後も平穏な日々が訪れたわけではない。

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巖さんは家の中を1日13時間も歩き続けたり、ティッシュを畳む作業を延々繰り返したり、「神」を名乗り、街をパトロールするようになり、階段から転がり落ちてケガをしても、外に出て行ったりする様が映画では映し出される。

「袴田巖はもういない。私が全知全能の神、唯一絶対の神だ」
「死刑制度も監獄も廃止された。袴田事件なんか最初から、ないんだ」

そうつぶやく巖さん。「死刑」の恐怖を長年にわたって背負い続けた重みに衝撃を受ける一方、驚かされるのは、そんな巖さんに何も聞かず、言わず、行動を抑制せず、巖さんの意思を尊重し続ける秀子さんの強さだ。

秀子さんは巖さんの現状も受け入れ、達観したように見えるが…

しかし、最初から超越していた、達観していたわけではないと笠井監督は言う。

「秀子さんは強い人ですが、しんどかった時期はあったのだと思います。これは秀子さんからお聞きした話ですが、食生活などのせいで体がおかしくなった時期もありました。普通ではないストレスを抱え続けていますから、心身ともに傷つき続け、それを自分で飲み込んで、弱音を吐ける先もなかった、と。

また、支援の輪が広がっていない頃は、夜も眠れず、お酒に頼ってしまった時期があったそうで。眠れないから飲んでは寝て、それが毎日になった頃、お肌もボロボロで荒壁みたいになったとおっしゃっていました。そんなとき、支援者の方が現れ始めて、自分が酔っ払って電話に出てしまったことを猛省し、以降一切お酒を断ったことがあったと、話してくれました」