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映画には入れられなかった秀子さんの「50年目のメディア批判」

映画の主役は巖さんであることから、膨大にある取材映像の中で秀子さんの動画はあえて大幅にカットしている。しかし、その中でも笠井監督の印象に強く残っていることが、ふたつある。

ひとつは、巖さんが逮捕されてから50年の節目に行われた記者会見の映像だ。

「巖さんが釈放されるまでは、秀子さんはメディアに言いたいことをほとんど言わなかったんです。それが、釈放されてしばらく経った記者会見では、記者クラブで15人ぐらいの記者を前に、『あなた方にあれだけ書かれたことで家族がどうなったか』と初めて強い口調で堂々と言った。それまでどれだけ言いたくても言えなかったことなのだろうと思いました」

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もうひとつは、メディアや世間が大きく誤解していること。それは「姉の秀子さんは弟・巖さんのために自分の人生を全て捧げてきた」という解釈だ。

秀子さんは弟のため自分の人生を犠牲にしたわけではない

「秀子さんの世代の女性は、生活するために結婚するのが当たり前だったそうですが、秀子さんはそれが絶対に嫌だからと、経理のスキルを身につけ、手に職を持って自分の足で立って暮らしてきました。20代で一度の離婚を経て以降、結婚しなかったのも、自立した生活をしていたから必要に迫られなかったこともありますし、巖さんのために人生を犠牲にしたわけじゃありません。

それに、『私の人生、これだけじゃつまらない』と言って、60歳を機に銀行からお金を借りてローンを組み、マンションを建て、不動産経営もしています。今ではそのマンションの一室で巖さんと暮らしているわけですが、弟を自分の元に取り戻し、一緒に住めるようになったこと自体が夢のような話です。巖さんのことだけじゃない、自分の人生の中に夢を持ちたい、これをやったと思えるものを持ちたいという強い気持ちがあるんです」

87歳という女性の平均寿命を超え、91歳の今も“かくしゃく”とした姿を見せる秀子さん。巖さんの再審無罪判決で、ついにその闘いに終止符が打たれた。あまりにも長い半世紀以上の年月を奪われつつも、権力に屈せず、結果的に無念を晴らした今、巖さん、そして秀子さんは何を思うのか。笠井監督の取材はこれからも続いていく。

田幸 和歌子(たこう・わかこ)
ライター
1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーライターに。ドラマコラム執筆や著名人インタビュー多数。エンタメ、医療、教育の取材も。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など