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「もしダメだったらどうしよう」と考えても意味のない心配はしない

笠井監督自身、フリーランスになってからはゴールも定めず、全て持ち出しで、作品が発表できるかわからない状態のまま取材を続けてきた。そんな笠井監督に「働く女性の草分け」的立場から秀子さんは共感してくれたり、大変なときには励まし、背中を押してくれたりすることもあった。

監督が秀子さんにエンパワーメントされたのは、言葉ばかりではない。「もしダメだったらどうしよう」など、考えても仕方のない心配はしない秀子さんの姿勢は、笠井監督の心の持ち方の指針となり、心が揺らぎそうな場合も「秀子さんを思えば、まだまだできると思えた」と言う。

映画では終始強く明るい秀子さんだが、巖さんのされた仕打ちを思えば、警察や検察などへの恨みや怒りを抱くのが自然だろう。しかし、秀子さんは恨み言などを一切口にしないのだと言う。

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「秀子さんはこんな目にあっても、恨みつらみを言わない」

「私が秀子さんを尊敬している理由の1つが、恨みつらみを言葉にすることがないところ。警察、検察、裁判所に対しては『役所はそういうもの、仕事でやっていることだから』とおっしゃるんです。ご自身がかつては税務署に勤めていたこともあって、公的な組織の論理を体感としてわかっているから、そこに恨みつらみをぶつけることにあまり意味がないと思っているのでは……。

そんなことより、日々を穏やかに暮らすとか、巖さんが自由にやりたいようにやれるために自分自身のエネルギーを注いでいる。もっと高い次元で、現実をありのまま冷静に受け止めて自分に何ができるかを見定めている方なんです」

笠井監督がまだ出会ったばかりの頃、「今の自分は最初からじゃない。この何十年という闘いの日々が私をそうさせた」と言った秀子さん。その年月の重みをこう推察する。

「巖さんが47年7カ月獄中に囚われていたのと同じく、塀の外にいた秀子さんも47年7カ月巖さんと同じ時間を共有されていたと思うんです。秀子さんの場合は外で、巖さんにはない苦労もされているんですよね。世間からの強い風当たりや、メディアに書きたい放題書かれること、何より権力から弟を処刑されるという恐怖の状態に置かれ続ける苦労をされてきて。その中でいかに生き抜いて、かつ巖さんを守れるかをずっと考え続けられたこと、身を守る術を身につけていったことが、今の達観した秀子さんを形成していったのかなと思います」