外からも中からも罵倒され、声を押し殺して泣いた夜
諏訪 私が社長に就任したのは、32歳のときです。何度もお話ししているように、当時は働いている女性がそもそも多くなかった時代です。ましてやベテラン職人で成り立っている男性社会の町工場の代表が、若い女性に務まるわけがない、と思われていました。
周りの企業や銀行から「2代目が女性なんて、あの会社はもうだめだ」と言われることは日常茶飯事でしたね。父の代からお世話になっていた銀行からは、私に代が替わった瞬間「合併」を持ちかけられました。しかも、「社長には、お辞めいただきます。合併後の新会社社長には、先方の社長に就いてもらいます」という言葉つきで。
また、外だけでなく従業員からも全然信用されなくて。私が2度のリストラにあった後も、ダイヤ精機は売上難が続いていました。そこで私が社長就任してから1週間で、以前から経営を立て直すためには避けて通れないと考えていたリストラを実行することにしたんです。リストラによって会社がなくなるリスクは避けられましたが、従業員全員が私の「敵」になったのを痛感しました。
就任したばかりの頃は、外からも中からも罵倒されることが多かったですね。それでもしばらくは、とにかく経営を立て直すことに必死で、大変だと思う余裕すらありませんでした。ただ、息子に気付かれないように声を押し殺して泣いた夜は何度もありました。
踏ん張り続けられている理由は「兄と一緒」だから
――その時期を、どう乗り越えたのでしょうか。
諏訪 やっぱり、「兄と一緒」だから乗り越えられたと思っています。どんなに周りが敵だらけに見えても、心の中の兄だけは、絶対に味方でいてくれる。どうやって乗り越えようか、一緒に考えてくれるんです。
生前、兄が母に「なんで僕は生まれてきてしまったんだろう」と問いかけたことがあるそうです。その意味を見つけるのは、兄の生まれ変わりである私の役目だと思っています。だから、「兄のためにも、こんなところでくじけていちゃいけない!」と踏ん張り続けられているのかもしれません。