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父から2回もリストラされた理由

――「2度」入社したとは?

諏訪 創業以降、ダイヤ精機は順調に売上を伸ばしていたのですが、バブル崩壊後は厳しい状況が続いていました。そんな時、経営難を乗り越えるために「大手メーカーでの勤務経験を活かした施策を考えてくれないか」と父から入社を打診されたんです。入社後は総務部に所属し、会社の各部門を回りながら経営状況を分析しました。

 その結果、バブル期から売上は半減しているにも関わらず、社員数は変わっていないこと、明らかな不採算部門があることが判明したため、リストラを提案したんです。そしたら、私がリストラされてしまって。

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 さらに、一度リストラされたあとに同じ理由で会社に呼び戻され、同じ理由でリストラされたので、「2度」入社と退社を繰り返しているんです(笑)。

©山元茂樹/文藝春秋

――リストラをきっかけに、お父さんと気まずくなることはなかったのでしょうか?

諏訪 それが、全くなかったんですよね。昔から父は、家で仕事の話を全くしない人でした。それは、私が社員として働いているときも同じです。仕事のことで意見が合わず、会社で激しい言い争いをしたときも、プライベートでは私が子どもの頃と変わらず甘やかしてくれる。そんな父だったから、私も仕事とプライベートを切り分けて考えられたのだと思います。

――お父さんは、仕事の顔とプライベートの顔が違ったのでしょうか?

諏訪 全然違いましたね。家ではとにかく子煩悩で、子どもを笑顔にするためにはどんなことでもするひょうきんな人でした。でも、仕事ではとにかく厳しかった。同時に、従業員をとても大事にする人でした。

 経営者って、時には辛い選択もしなきゃいけないじゃないですか。私と暮らしていたときだって、しんどい場面は何度もあったはずです。でも、家で父の厳しい顔や辛そうな顔は見た記憶がないんですよ。思い出すのは、笑顔の父ばかりです。

突然父が倒れ、医師の話では「余命4日」

――現在貴子さんは、そんなお父さんの後を継いでダイヤ精機の社長として活躍されています。会社を引き継ぐこととなった経緯を教えて下さい。

諏訪 本当に突然父が倒れて、病院に運ばれて……。医師に話を聞いたら、余命4日だっていうんですよ。何が何だか分からないけど、「私が会社をなんとかしなきゃ」という思いだけはあったんですよね。「こんなとき兄だったら、迷いなく『俺が会社を継ぐ』と言うんじゃないかな」って。

――とはいえ、一般的に町工場の従業員の平均年齢は高く、女性の割合も少ないですよね。そんな中、諏訪さんが経営を引き継ぐのは大変なことも多かったのではないでしょうか。