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「兄の生まれ変わりだ」と言われて育ってきた

――お父さんから「ダイヤ精機の2代目になってほしい」と言われたことはありますか?

諏訪 一度もないですね。でも、電車、自動車、戦隊グッズ、プラモデルなど男の子が好むおもちゃでばかり遊ぶ私を見て、「貴子は兄の生まれ変わりだ」「女の子だけど、貴子なら会社を継げるかもしれない」と周囲には話していたそうです。

 たしかに今振り返ると、いつもは私に甘々な父が、大学の進路を決めるときは 「工学部以外は許さない!」と頑なだったり、結婚・出産後も働ける場所を探していた私をダイヤ精機に入社させたり。そして、役員でもない私を銀行との交渉の場に同席させたり、経営のことを考えさせたりと、父なりに、いつか私に引き継ぐ準備を進めていたんだな、と思います。

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 また、私自身小さいころから両親に「あなたは兄の生まれ変わりだ」と言われて育ってきたから、自然と「兄ならどう考えるか」「どんな選択をするか」と考える癖がついていました。そのためか、父が倒れて突然事業承継の話が浮上したときも、「兄なら迷わず会社を継ぐはず」と腹をくくれましたね。

©山元茂樹/文藝春秋

――「あなたは兄の生まれ変わりだ」という言葉は、捉え方次第ではネガティブに受け止める人もいそうですが……。

諏訪 私は、「兄の生まれ変わりなら、兄の分まで自分を大事にして生きなきゃな」とポジティブに捉えています。それは、私がそう思えるくらい両親が愛情たっぷりに育ててくれたから。

 また、兄の生まれ変わりということは、私の中で兄は生き続けているということだと思っていて。寂しいときも、辛いときも、私は一人じゃなくて兄と一緒なんです。そう考えると、「生まれ変わり」ってすごく素敵な表現だと思うんですよね。

結婚・退職後、子育ての中でダイヤ精機に入社

――会社を引き継ぐまでは、どんなお仕事をされていたのでしょうか。

諏訪 大学時代は、アナウンサーに憧れていたんですよ。ちょうどその頃、理系出身のアナウンサーとして楠田枝里子さんが活躍されていて。「私もああいうかっこよくて華やかな仕事がしてみたい!」と思っていました。でも、当時の就職活動は、今のように受けたいところを自由に受けられるスタイルではありませんでした。ダメ元でテレビ局に資料請求したら、送られてきたのは技術系の職種の募集要項ばかり。それを見て、「やっぱり私は技術職だな」と決心できましたね。

 その後、新卒で大手自動車部品メーカーにエンジニアとして就職しました。2年後、同僚だった夫と結婚。当時は寿退社が当たり前の時代だったので、結婚と同時に退職しました。「これからは専業主婦として家族のためにがんばるんだ!」と意気込んだものの、どうしても家でじっとしていられない性格で……。家事や子育てをしながらブライダルの司会をやったり、スイミングのコーチをしたりと動き回っていました。その頃、ダイヤ精機にも2度入社しています。