1ページ目から読む
6/12ページ目

大将から「あきちゃん、なにしてんの?」と呆れ顔で聞かれた時には「ラーメンを作る日に備えて体力作りです」と答えた。

運命を変えた“移籍”

アピールを始めて間もなく、総本店に店長候補が集まる研修会に呼ばれた。そこで、鉄の棒を使ってスープを混ぜる無鉄砲独特の方法を体験した時には、その棒を誰にも渡さなかった。その日の夜、「あきちゃん、すごいな。棒、離さんかったらしいな」と苦笑まじりの電話が大将からかかってきた。

「あいつアホちゃうかって思われたでしょうね。自分の過去の話は一切しなかったから、大将にとっては、人生こけてこけてこまくって、ラーメン屋の門を叩いたかわいそうな同い年のおっさんだったと思います」

ADVERTISEMENT

アピールの効果か否か、入店から4カ月後、大将の指示で新店舗の「つけ麺 無心」に移ることになった。この移籍が、髙田さんの運命を変える。

その店は、オープンからすぐ人気店になった。あまりに多忙で、間もなくして店長が離脱。スープ担当になった二番手は、いきなりの大役に技術が追い付かない。大将はここで、洗い物と掃除担当だった髙田さんを抜擢する。

大将は、数日だけスープの作り方を指導すると、あとは髙田さんに任せた。髙田さんによると、無鉄砲では5年働いてもスープに触らせてもらえない人もいる。それが、入店から5カ月目にして、スープにたどり着いた。つけ麺のスープは当然、ラーメンに通じている。

「おれはついてる!」と幸運を噛み締め、一心不乱に働いた。しかし、40歳の身体が気持ちについてこなかった。

両足の皮下と筋肉組織の間に細菌が入る病気に罹り、10日間ほど入院。その間に別の店からきた助っ人が店長に就いた。

大阪でこっそり学んだスープづくり

そのタイミングで再び異動になり、大阪店へ。デイトレーダー時代、大阪店によく食べに来ていた髙田さんは、「スープの達人」と称される店長と顔見知りだった。すぐに意気投合した店長は、ホール係の髙田さんにラーメンやスープ、接客に至るまであらゆるノウハウを伝授した。