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この頃、無鉄砲の女将さんが突然店に来て、一口食べた瞬間、「あきちゃん、これ無鉄砲のラーメンとちゃうやん!」と小さな声で叫び、怒って店を飛び出した。間もなく、大将から「どうしたの?」と電話がかかってきた。店長が勝手に店のスープをいじったのだから、クビになるだろうとビクビクしながら正直に話した。大将は少しの間沈黙した後、尋ねた。

「お客さんはそれで喜んでるんか?」

大将の判断基準は、いつもお客さん。それを知る髙田さんは神妙に「そう信じてやってます」と答えると、大将は言った。

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「あきちゃんの好きにしたらええ。その代わり約束してくれ、お客さんを絶対に笑顔で帰すこと」

この言葉を聞いた瞬間、髙田さんは、「この人には絶対に勝てない」と感服した。

「あきちゃん、ほんまは店やりたいんやろ」

独立することになったのは、事故がきっかけだった。2016年10月、渋滞中の道路でトラックから追突され、左肩の筋肉を支える4本の腱のうち3本が切れてしまったのだ。手術とリハビリで、全治10カ月。その間、自分の店をやりたいという思いが溢れ出し、手帳一冊分の構想を記した。

ケガがほぼ治りかけた頃、大将から奈良の実家に来るように呼び出された。近所の串カツ店に入り、昼間からふたりで焼酎を飲む。しばらく時間が経った頃、大将は言った。

「あきちゃん、ほんまは店やりたいんやろ。やったらええわ。もしあかんかったら、帰ってきたらいい」

髙田さんはそれまで一度も、独立したいと口にしたことはなかった。それだけに、意を汲んで背中を押してくれた大将の言葉は胸に沁みた。

「その一言は、ほんまもう一生忘れません」

その後、大阪店でアルバイトをさせてもらいながら、店を開く場所を探した。最初の条件は、無鉄砲の支店がないエリア。もうひとつの条件は、私生活でも一緒に行動するようになった常連さんが何人もいる大和郡山周辺から通える距離であること。

どちらも満たすのが、尼崎だった。