この場所を撮るなら映画のために消費するような形であってはいけない
小田 それとは別の話として、沖縄のガマ(洞窟)に関しては、やっぱり自分たちが撮れる場所と撮れない場所がたしかにありました。ここには我々が抱えきれる以上のものがあるな、と思ったらやっぱりそこには立ち入れなかった。
――それは、ガマにまつわる話を聞いて、ということなんですか?
小田 たとえばかつて集団自決が行われたガマで、今はご遺族の方以外は基本的には立ち入り禁止になっている場所がある。まだ中に骨が埋まっていたり、遺族の方々にも様々な感情があったりして、ガイドの松永(光雄)さんも、入ることを推奨されなかった。そういう場所には無理に入らずに、外でお話だけうかがうことにしました。単なる映画の素材としてこの場所を貸していただくのは違うなという気がして。
――小田さんは、まず沖縄で撮影した映像をもとに『GAMA』という作品を一度作られて、そのあとで改めて『Underground アンダーグラウンド』を作られていますよね。やはり沖縄のガマに関しては特別な思いがあったのかなと感じたんですが。
小田 そうですね。他の地下空間では、人が生きた気配をそのままカメラで映したり、フィクションのような形で描いたりしましたけど、ガマに関しては、実際にそこで松永さんがガイドとして語っていらっしゃる姿をどう撮ることができるかをまず考えました。もちろん映画のためにカメラを回してはいるんですけど、この場所をただ映画の素材として消費してはいけない。そのためにはどうカメラを置いたらいいのか、照明をどう焚いて、ガマを照らしたり照らさなかったりするべきなのか、つねに考えていました。我々が沖縄戦やガマについて触れるとしたら、松永さんが提示してくれたものから見つけていくしかない。彼が見せてくれる沖縄の姿、伝えたいことをどう映画にできるかが一番重要でした。
――松永さんとはどういう出会いだったんですか?
小田 沖縄のガマに行きたいなら絶対にガイドをつけなさいと言われたんです。調べていたら松永さんのHPを見つけて、平和ガイドや遺骨の収集をされていると書かれていた。実は遺骨収集の方にも気になるものがあったので、まずはこの人に会ってみようと連絡をとったのが最初のきっかけです。
――オファーはすんなり受け入れてもらえたんですか?
小田 最初は少し警戒される気持ちがあったかもしれないですけど、時間が経つにつれて、自分たちが何かを奪取するために来たんではないとご理解いただけた気がします。
実は当初は松永さんにはガイドだけお願いするつもりだったんですが、2回目か3回目に行った時に「映画にも出てほしい」とお願いしたら、「今コロナでガイドの仕事が止まってるからいいよ」と引き受けてもらえて。