人が生きた跡を撮るためには地下にこだわらなくていい
――今回、日本のいろんな地下空間を撮ってみて、地下ってこういう場所だなという答えみたいなものは見つかりましたか?
小田 最初に、地下も地上も結局は変わらないと言いましたけど、自分が惹かれているものって、たとえば(テーブルの上にある小さな傷跡を指して)こういう跡だったりするんですよね。ここに跡があるのは、過去にこうして傷をつけた人がたしかにいるわけじゃないですか。誰かがかつてそこに残した気配や痕跡を映画として残していくのが私の仕事だとすれば、地上にもこうした跡はたくさんあるんだと撮影を通して知りました。そもそも地下自体、空間としては地上と地続きの場所でもある。大気の外から見れば、今私たちがいる場所こそ地下だと言えるし。人が生きた跡を撮るためには地下にこだわらなくていいんだよな、と今は思います。
――今のお話を聞きながら、小森はるか監督の映画のことを思い浮かべました。小森さんは、土が持っている記憶や土地に積み重ねられた時間を映画にずっと撮り続けている作家ですが、そういう小森さんの映画を、小田さんはどのようにご覧になっていますか?
小田 つねに影響を受けている作り手であって、信頼している友人です。土の記憶、土地の記憶もそうですけど、小森さんはいつも何かを受け継ぐってことをしているなと思っていて。彼女自身は非当事者として被災地に来て、そこに住む人たちからいろんな話を聞いて、それを一旦自分の体に一度入れ込んでから、作品としておろしている。
私自身も、形は全然違うかもしれないけど、それと同じことをしているって意識があります。いろんな場所に行って、そこで見たものや聞いたことを私の体の中に一度入れて、作品としておろす。そうして出来上がった映画を人に見てもらうことで、見てもらった人たちの体の中に記憶をもう一度入れていく。それが自分の仕事だなと思う。そういう意味で、小森さんと私は、全然違うものを撮っているように見えて、すごく遠いことをしているって意識はないんですね。何より、小森さんはずっとご自身の仕事をしている。そこをすごくリスペクトしているし、私もそうありたいなと思っています。自分の仕事がしたいです。
――最後に、小田さんは次にどのような作品を手がけるおつもりなのか聞かせていただけますか。今後はフィクションをつくったりもされるのかなと、本作を見ていて思ったんですが。
小田 私は基本的にずっと実生活がある方たちを、その役柄として撮らせてもらってきたんですよね。実際の生活を撮ることについては、彼らから提示していただいているかぎりは撮ってもいいと思っている一方で、こういう撮り方をしているとどうしても描けない部分が出てくる。そのときはフィクションの形を借りる必要が出てくるのかなと、最近は考えています。最初から撮りたい物語があって、というより、人や土地から受け継ぐものがあって、それを映画として提示するためになんらかの嘘が入ってきたり、俳優さんに演じてもらったり、という意味で、今後自分が撮るものがよりフィクショナルなものになっていくかもしれないですね。
おだかおり/1987年、大阪府生まれ。ボスニアの炭鉱を主題とした長編第1作『鉱 ARAGANE』が大きな話題を呼ぶ。2019年『セノーテ』が完成、翌年には第1回大島渚賞を受賞。その他の監督作に『ノイズが言うには』『あの優しさへ』『GAMA』など。
