地下を彷徨う吉開さんもいるし、地上で味噌汁を作る彼女もいる
――映画作家でダンサーでもある吉開菜央さんが「シャドウ(影)」役として登場するのには驚きました。
小田 最初は手だけで影に触れたりする場面を映してはいたんです。でも手だけの表現に私が限界を感じていて、誰か身体表現ができる人に入っていただこうという話になったときに、プロデューサーの杉原永純さんが吉開さんの映画の配給をされていたこともあって、紹介されたんです。もともと同世代の友人で、一緒にトークイベントに登壇したりしていたので、映画作りの場でなにか協働できたら面白いかなと思って。
――吉開さんはダンサーや振付師としても活躍されていますが、この映画では、ガマの中を這っていたりする姿は映りますが、いわゆるダンスという形で登場することはありません。
小田 一度だけ、ここで吉開さんに踊ってもらったらどうだろうって話が出たときはありました。でもそれをやってしまったら、ここまで我々が積み重ねてきたものが台無しになるんじゃないか、彼女の踊りに全部担わせてしまうことになるんじゃないかと思ったんです。それは我々の映画のためにも、吉開さんを映すうえでもきっとよくない。その決断でよかったと思っています。もし踊る場面を撮っていたら、おそらく表層的に使うことしかできなかった。私が彼女の身体表現に本当に惹かれたのは、むしろ映画のなかの日常生活の部分とか、最後のショットとかなんですよね。最後は「ちょっとずつ動物になってください」ってお願いしてあんなふうになったんですけど、本当に面白い人だなあと思いました。
――地下では「シャドウ」として登場していた吉開さんが、明るい家のなかで料理をしたりヨガをしたり、という映像が急に挿入されますね。あそこは、どういう経緯から生まれた場面だったんですか?
小田 以前の『鉱 ARAGANE』や『セノーテ』も、まずは全体を考えずに撮影して、編集をしながら構造を考えていったけど、根底には地上から地下に入ってまた地上に戻っていくという大きな枠組みがあった。でも今回は地下も地上ももっと断片的に撮影をしていてその構造を利用できない。これまで以上に観客にとってわかりづらいものになるかもしれないなという気持ちがありました。そこで何か直接的に地上と地下を接続できるシークェンスが欲しいと考えるうちに、地下を彷徨う吉開さんもいるし、地上で味噌汁を作る彼女もいるという形にしたら、映画の構造が見えやすくなるんじゃないかと思ったんです。
もうひとつは、地下での彼女は幽霊みたいに足音がいっさいない存在として登場するんですよね。それがあの家では、重力を持って、いろんな物音を立てて暮らしてる。吉開さんの肉体を吉開さんに感謝するというか、ちゃんと体がある存在として映すことで、地下にいた彼女と地上での存在がより近づいて見えるかな、という思いがありました。