高見が「▲4四桂のただ捨ては?」と言い、斎藤はその手を指す。いかにも棋士が好きそうな捨て駒だ。ここで伊藤も秒読みになり、▲4七香に対し△4五歩と受ける。これが逆転の前兆であった。4五の歩を飛車で取れば、第一感は寄りである。だがさらに検討してみると後手がこらえている! 高見が「ぎりぎり寄らないですね」と驚きの声を上げた。戻って伊藤が馬を引き付けたのがうまいという話になり、佐々木が「イトタクはこういう粘り方がうまいんだよなあ」といい、三枚堂が「そうそう」と相槌を打つ。
それでも1分将棋の中、斎藤がじっと▲9一竜と香を取ったのが3人が感嘆した一手だ。手番を渡すのが怖いだけに「斎藤さん、さすがです」と高見。
伊藤が飛車取りに桂を打ち、斎藤は王手で角を打って金と交換。いよいよクライマックス。
中段の飛車を7筋に回って銀頭に歩を打てば挑戦者の一手勝ちと解説していたが、斎藤はなんと飛車取りを無視して▲4一竜と回った。
「えっ、なんで!」と佐々木が叫ぶ。
まさかの逆転劇に誰もが固唾をのんで見守っていた
斎藤は馬を取って詰めろをかけたが、そこで高見が「△6四香がありますね」といい、伊藤がその手を指したのを見て、全員が青ざめた。絶好ともいうべき詰めろ逃れの詰めろだ。それに対する返し技はもうない。斎藤は歩の王手で迫るが、伊藤は全部逃げていく。そしてついに王手が途切れた。
やむなく斎藤は詰めろをかけるが、伊藤が詰みを逃さないことは皆わかっている。佐々木も高見も三枚堂も、口数が少なくなる。あれだけ皆しゃべりまくっていたのに。しかたないので私が詰み手順をモニターに表示し、解説してよと言おうとしたが、3人を見て私も言葉が出なくなった。
皆、つらそうなのである。優勢の将棋を逆転されて負けることがいかにキツイかは、棋士ならば誰しも経験している。3人とも公平な解説を心がけていたが、この瞬間だけは斎藤の友人に戻っていた。
観客席を見ると誰もが固唾をのんで見守っていた。そうだ、「沈黙こそが最高の解説」だ。今は余計なことを言ってはいけない。
伊藤は落ち着いた手つきで詰ましにいく。
斎藤は5五の地点まで逃げ、120手目△5四銀を見て深々と頭を下げた。終局時刻は19時38分。
ようやく3人が口を開き、次々に感想を述べ合った。




