タイトル防衛を果たしたが、最後まで笑顔はなかった
「飛車回ると△8一歩打たれるから、とっさに竜を回ってしまったという感じですね」
検討を進め、△8一歩には▲7三歩ではなく、木村が指摘した▲5二金! △同玉▲7二飛成で寄せきれるとわかり、「なんか、これが一番しっくりきますね」と斎藤が言って、それが結論となった。しかし金を渡す手は指しにくく、1分将棋でその手を指さなければ勝てないのは厳しかったのである。
たいていの棋士は飛車取りだからと、目分量で逃げたであろう。しかし、斎藤は逃げたあとのことを考えて指せなかった。読めなかったのではなく、その先まで読めたがゆえに指せなかったのである。
20時49分、両者が深々と頭を下げ、叡王戦五番勝負は幕を閉じた。
3勝2敗で伊藤が叡王のタイトルを防衛。伊藤から見て●○○●○の星取りは、前期の藤井との五番勝負とまったく同じである。またタイトル2期で八段昇段となった。
しかし、喜ばしいはずの記者会見でも写真撮影でも、伊藤はうまく笑うことができない。どれだけしんどい勝負だったかがわかる。記者会見では当然、藤井に関連した質問が出てくるが、伊藤は「藤井竜王・名人との距離感はあまり縮まってはいない、どちらかというと広がっているという実感がある」と正直に答えた。
この1年で粘り強さに磨きがかかった
そして藤井と戦うことについて、「(叡王戦の)来年の挑戦者は自分が考えることではないが、藤井竜王・名人とタイトル戦で戦いたいという気持ちはあるので、自分自身が他棋戦で挑戦できれば」と話した。ここだけは声がしっかりと聞こえたのである。
記者会見が終了後、少し伊藤と話をした。「やはり最近対局数が少なかったのは調子が狂ったか?」と聞くと、うなずきながら「はい、対局はあったほうがいいです」と答えた。
そしてこのシリーズで印象に残った将棋を聞いた。この五番勝負はすべて両者1分将棋になった。特に第3局は終局が20時15分ともっとも遅く、秒読みだけで75手も指したことになる。きついタイトル戦であった。
「局を重ねるにつれ、熱戦になりましたし、やはり最後ですか」
勝って嬉しいというよりも、終わってほっとしたという表情だった。
第3局と本局の逆転勝ち。これは偶然ではない。粘り強く指し、正解手を指すのが難しい局面に追い込む。これが伊藤の持ち味である。



