いま思えば、治療で苦しかった頃は、母になることが女性の幸せだという考えにがんじがらめにされていた。「子どもが好きだからほしかった、と思い込んでいたけれど、実は自分が子どもに執着していた理由は、『母親になって一人前』『周りの人を喜ばせたい』という刷り込みにあったのかなと感じています」
治療を終えて夫の知らなかった側面を知った
治療中は一時険悪なときもあった夫との関係も改善した。「治療中は、夫婦で気持ちのすり合わせができていなかったですね」と、いまは余裕で振り返れる。治療を終えてから、初めて知った互いの思いもたくさんあった。
心身が疲弊した渡邉さんを見て、夫が「子どもを授かる以前に壊れてしまう。治療をやめてほしい」と思ったこと。里子や養子を迎えることを考えていたけれど、それを「治療で精いっぱいな妻に言うのは今じゃないと思って伝えられなかった」ということも。
子どもを実際には産み育てる願いはかなわなかったが、渡邉さんはいま、不妊治療の体験者を支援することで子どもに関わっていると実感している。相談にのった患者の中には妊娠、出産したり、養子縁組に進んだりする人も出てきて、「人生の転換期に立ち会えている」というやりがいを感じている。
「ふと子どもがいたらどんな人生だったかと思うこともあります。でも、いまは自然の中で暮らし、自分自身が満たされていると心から感じています」
3回目の妊娠は死産、絶望の淵に立たされた
池田麻里奈さん(50)と夫の紀行さん(52)は小学生の長男(6)と海辺に近い街に暮らす。長男は夏場になれば毎日のように海に通い日焼けして元気いっぱいだ。
「子どもを産めなくても育てたいという気持ちが私にはありました」と話す池田さんは6年前、生後まもない長男を特別養子縁組で迎えた。以前から抱いていた「子どもを育てたい」という気持ちは、持病の子宮腺筋症の悪化のため、42歳で子宮全摘の手術を決めた後も続いていた。