休憩が明け、私は西川とちょっとだけ大盤解説会に出演した。私は主催の日本経済新聞のグループ会社、日経BPから新刊『キホンからわかる 東大教養将棋講座』を上梓したので、その宣伝もさせていただく。西川は阪神・淡路大震災の記憶を語った。
「震災のときは8歳で、神戸ポートアイランドに住んでいました。朝すごい地震で起きました。通っていた小学校がしばらく使えなくなり、母と妹で母の実家の山口に半年ほど疎開していました。父(西川慶二八段)は対局があるので残っていました。
あの当時のことでは、やはり谷川先生の王将戦が一番印象に残っています。フルセットまで戦って、(七冠独占がかかっていた)羽生先生の挑戦を退けて。すごいなあと」
そう、あれからちょうど30年だ。両対局者はまだ生まれてもいない。月日が経つのは早い。
藤井ならではの価値観に基づく、AIには指せない寄せ
休憩明けに伊藤が飛車を取れば、藤井は1回王手をかけてから玉を早逃げし、竜と金を交換してから、77手目▲5五馬!
そう、藤井は働いていない馬の活用を軸に読んでいたのだ。
後手が馬を追っても、▲5六馬と一つ引いた手が2三の玉をにらむ好位置になる。また△2九飛の攻め合いには、▲4五桂△4四銀に▲2五桂! さらに△同歩▲2四歩が好手順で、伊藤玉は寄りだ。控室では馬を5一に入る手や▲4五桂など、いろいろな手を散々検討し、ようやく▲2五桂を発見し、藤井勝ちだとわかった。私はすっかりくたびれて、「一日中詰将棋を考えているなあ。疲れたなあ」と言うと、村山は「私もです」と笑った。
この馬と桂を使う藤井の寄せは見えにくい。(1)貴重な歩を使い、(2)後手玉の上部を押さえる先手の駒がいなくなるのに、玉を上部におびき出す、(3)相手の駒台に飛車が2枚乗る、など指しにくい条件が揃っているからだ。藤井将棋は「桂の価値」と「遊び駒の活用」の優先順位が高い。桂を奪い、馬を絶好の位置に引き付けたという、藤井ならではの価値観に基づく、AIには指せない寄せだ。
「さすがの寄せですね」と若手棋士の誰かが言い、谷川も「藤井さんにばかり良い手がありますね」と言った。
これで藤井が寄せ切るだろう、控室はそんな雰囲気だった。伊藤の次の手を見るまでは――。
写真=勝又清和
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