青年への思いを認め、「美しく清らかな愛情も許されませんでした」
元々私は小さい時から、自分の意思をはっきり表現することのできない弱虫の泣き虫でしたけれど。そうした私が、どうしてこの度のような思い切った行動がとれたか、自分でも不思議のように思えるのでございます。
私は過ぎ去った一つ一つの事柄に対しては何も申したくないのでございます。人さまから評判されるほどの才人でもなく、やり手でもございません。私としては精いっぱい、真実から励み、勤めてきたつもりです。あるいは、自分の実力以上のことをして誤ったのかもしれませんが、その真実も真実と認められぬと思った時、私は私の道を歩むより仕方がないと考えたのでございます。
そう考え始めた時、公的にも私的にも、悩みはぐんぐんと大きく私に迫ってまいりました。日常の全てが苦痛になってまいりました。あれこれ調和できぬいら立ちに眠れぬ夜も多うございました。こうした私に容赦なく、日々の行事は繰り返されていきました。混乱した頭で追い立てられるように、寺を訪れた方々にも面会していたのでした。この苦しみは誰にも分かってもらえませんでした。もっとも、誰にも心から打ち明けて話もしなかったのですが……。私は神経衰弱のようになっていたと思います。
そうした時、私の心を慰め、励ましてくれたのが一人の青年の素直さ、純情さでした。私は清らかに弟のように愛しました。ここに私は泉を見いだしたような心地がしたのです。けれども、この美しく清らかな愛情も許されませんでした。しかし、いまにして静かに考えてみる時、清らかな愛そのものの奥深く、自ら自覚するまでには至らず、かの青年を異性としてみる愛情の芽生えがあったのかもしれないと思うのでございます。
彼女はここで初めて彼に対する「愛情の芽生え」を認めた。手記は尼僧の在り方に言及する。



