「とても人間らしい正直な人」手記掲載を仲介した人物は…
「『あの方』というのは、評論家の白洲正子さんから、いつか話に聞いた尼さんのことであった。『尼門跡さんで変わった人がいるのよ。門跡であることに疑問を抱いて悩んでいるの。とても人間らしい正直な人で、何か書いて、私に見てほしいなんて言っているの』と白洲さんは話していらした」
「『彼女に会って手記をもらうように』と編集長から命じられた時、私は並大抵のことでは手記は取れないだろうと思った。そして、彼女の友人であり、理解者でもある白洲夫人に紹介の手紙を書いていただくよりほかはないと考えた」
白洲正子には『私の古寺巡礼』などの著作があり、尊昭尼とは旧知の仲だったのだろう。三枝の願いを承知して白洲は丁寧な手紙を書き、三枝はそれを手に飛行機と汽車で玉名へ向かった。
不可能を可能にした愛の勝利者
はじめは断られたが、白洲の手紙を渡すと現れ、「あの方のお手紙をお持ちくださった以上は、お目にかからないわけにはまいりません。私もジャーナリストの方々にでたらめな記事を書かれて困り果てておりますので、自分の本当の気持ちを一度は書かなければと思っておりました」と涙ながらに静かに語った。同書は「戦後、女性解放はいろいろな形で行われたが、彼女こそ、自らを解放した勇気ある一人であり、不可能を可能にした愛の勝利者であると私は思う」と締めくくっている。
いきさつを考えると、そうして書かれた彼女の手記の「親しき友」とは白洲正子だったことになる。
もんぺにヘプバーンカットで
「事件」から約半年たった1955年5月31日付の大和は、元尊昭尼が薬師寺の佐々木信綱歌碑除幕式に、雨靴にもんぺ、髪を「ヘプバーン型」に刈り上げた姿で現れたとの目撃情報と、「居所は分からない」という実弟の談話を掲載した。オードリー・ヘプバーンを一躍スターに押し上げたデビュー作『ローマの休日』の日本公開は前年4月。映画ともども、「ヘプバーンカット」と呼ばれたショートヘアが話題を呼んだ。
6月2日付大毎は社会面トップ、写真付きで「新しい道踏みしめて」との記事。「“俗世”の生活に堅い自信を得た(平松)陽子さんは先月以来、大阪市近郊(特に場所を秘す)の仮寓でかつての愛弟子、そして彼女の最大の理解者である中川浩君との新生活を喜びにあふれて踏み出した」という書き出し。
「一切の戒律を離れ、食べ物も行動も自由な生活がどんなに楽しいものか、よく分かりました。また、人の世の難しさもよく知りました」と彼女は語っている。記事は最後に元尊昭尼を、イプセンの戯曲『人形の家』のヒロインになぞらえて「新しいノラ」と呼んだ。




