激しいジャーナリズム批判も
いつか、貴女とお食事を共にした時、「お魚を食べたいと思いませんか」と問われて、いかにも悟り切った顔をして「食べたくない」と言う人よりも、「食べたいけれど、戒律だから食べないのです」と言う尼さんの方が好きだ、というようなことをおっしゃいましたね。そのお言葉を聞いた時、私はとてもうれしかったのでございます。世の中には、どのようなことを心の中で思っていても、いかにも行いすましたらしく、悟り切ったようにきれいごとのみ言う人が多く、それをまた当然のごとくしている人が多い中に、あなたのお言葉は私の心に深くしみ入るものがあったのでございます。尼僧とて人間でございます。人間としてのいろいろの欲望があるのが当然ではございませんでしょうか。
多くの人が、尼僧といえば、尼門跡といえば、人間らしい悩みは何一つ起こらず、既に仏さまの境地に達したもののように考え、また強いてもいるようでございます。けれども、仏さまは、私ども人間の、尼僧の理想とする尊いお方でございましょう。私どもが円頂黒衣の姿になったからといって、すぐ仏さまの境地になれるものではありませんもの。理想の仏に少しでも近づくべく修行もし、反省もしている一修行者にすぎないのですから。その道程において過ちがあるかもしれません。思い違いもあるかもしれません。それらを温かく、大きく見守り、導いてほしいものと思います。
こう述べた元・尊昭尼は手記の後半で、短歌を交えてかなり激しいメディア批判を展開する。
生まれて初めて足を下した玉名の地には姉の家族やその友人たちが、この私の心を何もかも知っているごとく温かく、柔らかく包みかばってくださいました。けれども、いまだに報道人の訪問が絶えないのです。
つかれはてし我に問いくる報道人をうとましと思い悲しと思う
静まりかけた私の心はまたしてもかき乱されるのでございます。何と因果なことでございましょう。私の道を歩もうと考えた私。個の自由を求めた私。ジャーナリストは正しき自由を尊重するのがその理念であり、務めではないでしょうか。
既に門跡という晴れがましい地位から去って、一市井人となった弱い私の自由をどこまで奪い取ろうというのでございましょうか。「あなたが将来どうするかということをはっきり言わねば、いつまでも付け回すでしょう」と言ってみたり、「あなたが行き先を言わねば、草の根を分けても探し出しますよ」というような、言葉の調子は物柔らかくて、しかも何か脅迫めいた感じを与えるある記者の言葉にあぜんとしてしまった私でした。いまの世に、しかもジャーナリストがこのような考えでいようとは。
いまでも耳が痛くなるような指摘だ。この手記掲載に至る経緯を、当時「婦人公論」の編集者だった三枝佐枝子が著書『女性編集者』(1967年)で明かしている。そこには1人、重要な人物が介在している。同書によれば、「尊昭尼失踪」の記事を新聞で見た時、三枝は「きっとあの方に違いないと思った」と言う。



