――候補は他の曲だったんですか?

鳥羽 実は「兄弟船」は候補にも入っていなかったんだよ。候補になったのは「南十字星」か「流氷・オホーツク」「北凍船」の3つ。レコード会社の社長は「流氷・オホーツク」を推すし、船村先生は「南十字星にしろ」って言うし。

――「南十字星」は、遠洋マグロ漁師の気持ちを歌った曲ですよね? 鳥羽さんにぴったりな気もしますが。

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鳥羽 そうだよ。だって作詞家の新本創子さんは、俺のマグロ漁師時代の話を聞いて歌詞を書き下ろしてくれたんだ。その歌詞に曲をつけたのはもちろん船村先生なんだけど、実は船村先生のお兄さんが戦争末期に、敵の魚雷を受けて23歳で亡くなっているの。マニラから「長城丸」という輸送船に電信兵として乗船してたらしい。

 

 お兄さんが亡くなったフィリピンのミンダナオ島のあたりって、南十字星がはっきり見えるのよ。先生は、お兄さんの供養でフィリピンまで行ってたから。

――きっとお兄さんも船から見ていたであろう南十字星に、先生は強い想い入れがあったんでしょうね。

鳥羽 そう、それで「お前のデビュー曲はもうこれだ!」って。

――それなのに、鳥羽さんは「兄弟船」を?

鳥羽 だって歌ってて、一番、気持ちいいんだもん(笑)。そう、なんか気持ちがいい。

――なるほど。どうやって先生や社長の意見をひっくり返したんですか?

鳥羽 先生には悪いんだけど、こっそりレコード会社の宣伝マンとか音楽関係者に、「俺のデビュー曲なんですけど、『南十字星』も『流氷・オホーツク』もいい曲なんだけど……やっぱり歌っていて評判がいいのは『兄弟船』なんですよ!」って、会うたびに言ったの。そしたら、「へえ、そんなにいいのか。そうだねえ、言われてみればいい曲だねえ」って。

「しばらくぜんぜん売れなくてね。それで…」

――地道に根回しをしていたんですね。

鳥羽 そう。そしたら、先生が「おかしいなあ。最近、どうしてか『南十字星』や『流氷・オホーツク』より、『兄弟船』の評判がいいんだ」って(笑)。それでついに「そんなに評判がいいなら、『兄弟船』にするか」って決めてくれたんだ。でもしばらくぜんぜん売れなくてね。それで、東京じゃなくて北海道を中心にまわったら、火がついたんだよ。

 

――デビューから3年後の1985年に紅白歌合戦に初出場し、それから20回出場を果たした鳥羽さんですが、今年、昔気質の男を描いた「昭和のおとこ」という曲をリリースされました。鳥羽さんにとって昭和の男とは?

鳥羽 いかにも職人さんって感じの人がいるじゃない? 信念を曲げず黙々と働くような、それが俺の「昭和の男」のイメージだよね。その一方で、職人じゃないけれど、「昭和の男はまさにうちの父さんです」って俺は言っている。大正14年生まれの親父が100歳と3か月で最近、亡くなったんだけれど。