――昭和という時代をほぼ最初から最後まで駆け抜けたんですね。インタビューの最初に、お父さまは、あまり働かず博打をやってお母さまを泣かしていたと、うかがいましたが。

鳥羽 オヤジは不器用っていうより器用貧乏のほうがしっくりくる男でね。映画館のこともそうだけど、いろんなことに手を出しても失敗ばかり。

 でも、生き抜くためだったんだな、って。博打なんかもそうせざるを得なかったのかなって。最近になって色々、親父の気持ちが分かるようになったよ。

ADVERTISEMENT

 

――ご自身も二児の父となって、そのお子さんたちもデビューしましたよね。

鳥羽 そう。長男の木村竜蔵は作詞・作曲も手掛けるシンガーソングライター、それで次男坊の木村徹二は演歌歌手。

――おふたりが小さい頃、鳥羽さんは、どんなお父さんだったんですか?

鳥羽 うーん、やっぱり厳しかったかなあ。俺、後悔しているんだよね。長男の竜蔵には本当にかわいそうなことをしたって。例えば乗り物に乗るじゃない? そしたら周りの子供はぎゃあぎゃあ騒いだり、わあわあ泣き出したり。でも竜蔵には俺、「お前、泣いたらゲンコするぞ!」って。

――まさにおっかない昭和のお父さんですね(笑)。

鳥羽 そうかもしれない。それで、うちの竜蔵は、ぐーっと騒ぎたいのを必死に我慢しているんだ。周りの人から見れば、「静かにしていて、いい子だねえ」って言われるけど。だからかなあ、大人になった今でも、俺に会うとちょっと緊張しているのが分かるんだ。

――今もですか? でもお父さんの背中を見て音楽の道に進まれたのでは?

鳥羽 俺は別に何も言ってないんだ。歌手になれと言ったことも、応援なんかもしたことないんだけど、高校生のころからインディーズで何かやり始めてね。

「前の年に弟は肺ガンになって入院していたんだ。ステージ4だったんだけど…」

――鳥羽さんと同じ音楽の道を歩むことに決まった時は、何かアドバイスをされましたか?

鳥羽 「そんなに甘くないぞ」とは言ったけど、それ以上のことは一切、言わない。デビューの時も手助けしたりとかも、そういうのも何もない。

――次男の徹二さんは?

鳥羽 あいつは、ちゃっかりしてて、いつだったか、「お父さんのお名前はもう十二分に借りております。これからも最大限、利用させてもらいますから」って俺に平気な顔で言うんだ。徹二はイマドキの人なんだよ。目上の人に遠慮することはないんだ。

――ご兄弟で性格がだいぶ違うんですね(笑)。

鳥羽 違うね。でも、ふたりとも仕事はうまくいっているようで、最近は子供たちから仕事の依頼が来ることもあるんだ。

――親子でいっしょに仕事されることもあるんですか。鳥羽さんは山川さんとはずっと別々に歌っていましたが、2024年に長男の竜蔵さんが書かれた曲「俺たちの子守唄」で初めてデュエットされましたね。

鳥羽 その前の年に弟は肺ガンになって入院していたんだ。ステージ4だったんだけど今の医療はすごいね。抗がん剤が合ったみたいで、もう普通に仕事しているよ。