竹内 どうなんですかね? 日芸では俳優コースで、高校時代には少しだけジャニーズ事務所のレッスンにも通ってたみたいですけど。僕とコンビ組む前にはプロダクション人力舎の芸人養成所「スクールJCA」にも通ってたらしいので、たぶんお笑い志向だったとは思います。

 お笑いコンビも、僕はやっくんとやった「あばれヌンチャク」だけですけど、やっくんからすれば僕が3人目の相方だそうです。それで、コンビ結成を了承してから2日後に劇団を解散しました。

デビュー1年目で「爆笑オンエアバトル」デビュー

――そこからいろいろ早かったよね。ライブに出たりテレビに出たり。

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竹内 人力舎のライブ「バカ爆走」のなかに、オーディションに受かれば事務所を問わず出られる若手コーナーがあって。僕らは石井光三オフィス所属だったんですけど。1999年の10月にコンビ結成して、早い段階から出していただきました。そのライブに番組のスタッフさんが見に来てて、結成1年目から「爆笑オンエアバトル」に出してもらえたんです。2年目にはチャンピオン大会にも出させてもらいましたから。ほんと、バカ爆走のおかげですね。

 現在ではあまり見かけなくなったが、2000年代後半くらいまでは、テレビやイベントの制作スタッフが新しい出演者を探すために小さな劇場にも足を運ぶことは珍しくなかった。あばれヌンチャクもその流れに上手く乗って、番組出演のチャンスを掴んだのだろう。

――学生時代からの友だちだし仕事も順調だったけど、ぶっちゃけた話、あまりコンビ仲はよくなかったよね?

竹内 確かにあまりよくなかったですね。いまになって思うんですけど、僕が劇団時代の上下関係を、そのままコンビに持ち込んでしまったのが原因です。劇団では僕が座長でやっくんが団員でしたから。「仲が悪い」っていうよりは、「上と下」になってました。僕の失敗です。解散してからは、めっちゃ仲良くなりましたけどね。

――でもコンビ結成当初から、そんな主従関係があったわけじゃないでしょ?