『アメリカン・サイコ』はとても笑える小説だと思う

 この小説には、“曳き網使い(トローラー)”と呼ばれる魅力的なシリアル・キラーが登場する。これもまた当初から作品に登場していたものなのだろうか。

BEE そのとおり。“曳き網使い”の造形そのものは実在のシリアル・キラーを複数組み合わせて作りあげたものだけど、あれもまたこの小説では重要な要素だからね。あの時代のLAの寓話とも言える。主人公のブレットは、転校生のロバートがシリアル・キラーじゃないかと疑うだろ? 今の感覚からするとちょっと行きすぎな印象を与えるかもしれないけれど、あの頃は、友だちがシリアル・キラーなんじゃないか、という不安はとても自然なものだったんだ。とにかくそこいら中にシリアル・キラーがいたからね(笑)。

 主人公ブレットは身のまわりで起こるありとあらゆることに不安をおぼえ、こわがる。そのせいで、ほとんどダーク・コメディのように可笑しく感じられてくる瞬間もある。言うまでもなく、ダーク・コメディの要素は、『アメリカン・サイコ』でも顕著だった。

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BEE 『アメリカン・サイコ』はとても笑える小説だと思う。書きながらダーク・コメディを意識してもいたし。でも、『いくつもの鋭い破片』では意図していなかったな。僕にとっては可笑しいとは思えない題材なんだ。ただ、きみが言うように仄暗い可笑しさはたしかにあるし、そうなったのは、たぶん僕の頭がそういうふうにできているせいなんだと思うよ(笑)。

『アメリカン・サイコ』原書 Vintage版

『アメリカン・サイコ』との共通点はもうひとつある。それは、ダーク・コメディの要素とも一体化しているのだが、いわゆる“信頼できない語り手”というものだ。

BEE たしかに、パトリック・ベイトマンもこの小説のブレットも“信頼できない語り手”ではあるけど、ふたりとも意図的に嘘をついているわけではない。ただし妄想癖はある。ナボコフ的な妄想にとらわれているんだね。彼らは彼らなりの真実を語っているんだけど、そこに妄想が混じってるっていう。ナボコフの小説を読んでいると、“あ、こいつちょっとおかしいんだな”と気づく瞬間があるだろう(笑)? あれがとてもスリリングで、僕は大好きなんだ。