江戸の死生観と、占いを欲する気持ち
――江戸時代は、現在と、平均寿命や死生観が異なります。そんな人々にとって、将来を占うということはどういう気持ちだったんでしょうか。
朝井:江戸時代は、家柄や身分がある程度固定化していますよね。その良い面としては、あれこれ自分の将来を考えなくてもいいところ。でも、それは自分の選択ではないので、圧倒的に自由ではないとも言えます。だから逸脱したい人もいるし、親の決めた縁談から逃げたい人もいる。大島さんが浄瑠璃作者・近松半二を描いた『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』の世界のように、いろいろな事件が起きるわけでございます。
そのあたりの、人間の心の構造というのは、寿命とは関係ないのではないでしょうか。いつの世も、人の悩みは尽きまじですね。
大島:占いを欲するのは、未来がたくさん見えているときなんじゃないかという気もします。「私たちはこの年齢で未来がそんなにないですし、何を占ってほしいですかと言われてもね」って、さっきも笑いながら話しましたよね。
朝井:ええ。私も作中で書いたのですが、占い師さんは、「占的」がはっきりしないとだめらしくて。でも今日の私たちは「別に見てほしいことはないんですよ」というふてぶてしさで(笑)。
大島:じゃあなんで来たんだ、という(笑)。そういえばさっき、二人とも「死ぬまで書く」と手相に出ていると言われましたよね。
朝井:ペンを持ったまま死ねるなら、本望ですよね。それだったら幸せかな。わからんけど(笑)。
――最後に、読者の方々へのメッセージをいただけますか。
朝井:何がしかの理由で道に迷った人が、少し不思議な力のあるお玉のもとにやってきて、数年後の自分のちょっとした変化を知ることで、それがまた何がしかの変化を起こします。そして、お玉自身も少しずつ変わっていきます。
そんなささやかな出会いが起こす変化を描いていて、“運命”って、誰かと気が合って一緒に歩く、一緒に何かを見る、という、とても日常的な出会いのことなのではないかと、今日改めて感じています。『豆は煮えたか』でもさまざまな出会いの甘さ、しょっぱさがたくさん出てきます。どうぞお楽しみください。
――『豆は煮えたか』(朝井まかて著、文藝春秋)は4月8日発売です。ぜひお手に取ってご覧ください。