小平は動揺しながらも必死に小刀をもぎ取り、彼女の巻いていた細紐を首に二重に巻き、馬乗りになって絞殺。遺体を近くの堀の中に捨てた後、現金40円と腕時計を奪い逃走した。後の証言によれば、逃げる途中、空に米軍のグラマン機が10機編成で飛んでいたそうだ。

骨化した状態で見つかった21歳女性

 第4の犯行はそれからわずか3日後の7月15日。今度は池袋駅で出会った出版社勤務の紺藤和子さん(同21歳)が犠牲となる。防空頭巾にモンペ姿、細面、きゃしゃな四肢。

 小平好みの女性で、彼女もまた切符を買う列に並んでいるところで、声をかけられた。

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「買い出しに行かれるなら、私もこれから入間郡(埼玉県)の知り合いの農家にイモを買いに行くので、良かったらご一緒しませんか」

 空腹を抱えていた紺藤さんは喜んで誘いに応じ、2人して武蔵野鉄道に乗り込む。その途中、小平は彼女にイモではなく米が買えると持ちかけた。米の誘惑には勝てない。

 2人は清瀬駅で降り、国道を4キロほど歩いた後、小平の案内に従って東京都北多摩郡清瀬村(現・清瀬市)の雑木林に入る。

 小平はすぐに牙をむいた。言うことを聞かないと殺すと脅しながら首を絞め、下半身を覆っていた衣服を剥ぎ取り、強姦し殺害。現金60円と下駄1足を奪い現場を後にする。

 紺藤さんの遺体は4ヶ月後の11月5日、白骨化した状態で見つかった。

 1945年8月6日に広島、9日に長崎に原爆が投下され、14日に日本は降伏を要求する連合国のポツダム宣言を受諾。

 15日正午、ラジオから天皇陛下による玉音放送が流れる。

 当時、小平は妻子の疎開先である富山の不二越鋼材東富士製鋼所で守衛の仕事に就いていたが、9月21日に退社。富山の薬をかき集め東京で一儲けを企む。

 しかし、薬は思うほど売れず、憂さ晴らしも兼ね、また動き出す。昭和天皇がマッカーサー元帥をアメリカ大使館に訪問した翌日の同月28日、東京駅で友人を待っていた出版社経理事務員の松下ヨシ江さん(同21歳)に声をかけ、食料を餌に前回と同じ北多摩郡清瀬村の雑木林に誘い込んだ。