暗くなったから帰ろうと言いだした馬場さんを殴りつけ強姦し、彼女のマフラーで首を絞めて殺害した。

終わりのとき

 鬼畜な犯行が終わりを迎えるのは1946年(昭和21年)8月17日。この日の午前9時ごろ、東京・芝の増上寺境内の裏山の草むらから全裸の女性の死体が発見された。

 首に手拭いのようなものが巻きつけられていたことから他殺と思われ、警察がさらに付近一帯を調べたところ、15時過ぎに現場から10数メートル先の草むらからも半ば白骨化した女性の死体も見つかった。

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 白骨遺体の身許はわからなかったが、最初に発見された女性は、相撲の行司として有名な式守伊三郎(後の24代木村庄之助。本名:緑川義。1901-1973)の三女・柳子さん(同17歳)であると判明。

 伊三郎の夫人から8月6日に行方不明届が出ており、新聞記事を見た夫人が警察に連絡、遺体を確認し、娘に間違いないと断言した。さらに、母親は娘を殺害したのは「小平」という男だと言う。

 小平と柳子さんが知り合ったのは1ヶ月前の7月10日ごろのこと。品川駅構内で小平が彼女に声をかけたところ、就職口を探しているという。小平は下心を隠しながら力になることを約束し、再び会って話をする日を取り決める。このとき2人は住所を交換し、柳子さんはそれを家族にも知らせていた。

 その後、彼女は病気になり約束の日に出かけられなかった。すると、小平が家を訪ねてきた。せっかく良い仕事を斡旋しようと思っていたのに約束の日に現れなかったので心配になって訪ねることにした、自分は進駐軍に勤めているので、軍兵舎で柳子さんが働けるようにする腹積もりだったという。前記したように、実際にそのころ小平は芝高浜町のランドリー兵舎で雑役夫を務めており、母親はすっかり信頼してしまう。