しかしプロファイリングそのものは話がまったく別だ。私たちの捜査方法が成功を収めたという評判が広がり、捜査に行き詰まった警察などからの犯罪プロファイルに対する期待と依頼で、私たちの小さなチームは押しつぶされそうになっていた。私たちにできるのは、懸命に求めに応じることだけだった。講義や移動教室ですでに手一杯だったところにこれが加わり、全体に予算や人員も足りていなかった。何かしら手を打つ必要があったのだ。

プロファイリングの一貫性を持たせる絶好の機会

 1984年1月にようやく助太刀が来た。行動科学課のデピュー課長の熱心な説得でFBIも重い腰を上げ、新たに捜査官4人がチームに配属された。しかし、私たちによこされたのは捜査官だけではなかった。FBI幹部は大量の疑問も投げかけてきたのだ。

 プロファイリングをもっと一貫性のあるものにできないか。

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 プロセスをもっとスピードアップできないか。

 プロファイリングをもっと幅広いケースに対応させられないか。

 どの質問にも単純にイエスと答えたいところだったが、実際のところ、どう答えていいかまったくわからなかった。自分たちの仕事の成果も捜査官たちのことも信用していたが、プロファイリングは犯罪捜査の世界にこれまであったどんなやり方とも違っているのだ。しかもまだ揺籃期だった。

 私の頭の中では、プロファイリング・プロセスのことはしっかり理解できていた。精神科の患者を診断するときに使うやり方と似ているからだ。疾患や精神状態を特定するための手がかりがすべてそこにあることはわかっていて、あとはどこにそれがあるかを見つけ、うまくつなぎあわせればいいだけだ。でも新加入した捜査官たちの履歴は私とはまったく違う。プロファイリングをおこなうための彼らなりの思考回路が必要だろう。つまり、犯罪パーソナリティ研究から得たエビデンスをもとにしたアプローチだ。

 ダグラス((注:FBI行動科学課の特別捜査官)とレスラーと私が正しい道を選べば、新加入の捜査官のための研修プログラムを構築しながら、プロファイリング研究の検証もいっぺんにやってしまえるかもしれない。だから1984年の初夏、私は大学を休職し、クワンティコ(注:バージニア州の町。FBIアカデミーがある)のチームとプロファイリングのブラッシュアップに集中した。

 クワンティコの地下に自分のオフィスはなかった。とはいえ捜査官のほうも、切れ目なく続くしっちゃかめっちゃかな騒音――廊下の向こうから聞こえるわめき声、鳴りやまない電話、アナログの最新式ファックスがキーキーたてる音――で私の集中を削ぐのは気が引けるだろう。だから2つの廊下の交差点にある大きな会議室に、小さなデスクを1つもらった。