食事は悪臭を放つ泥のような雑炊

 1949年2月16日、大森と小西は準備していたボロボロの衣服に着替え、頭から炭を被って体を汚し浮浪者に変装した後、倉敷署の吉井署長と合流した。署長は「朝の散歩中に駅前で偶然出会った」として警察に連れて行き、岡田更生館に「2人の浮浪者を拾い留置しているので、そちらに入所させてほしい」と連絡。

 ほどなく、署にやって来た施設職員に2人の身柄を引き渡す。言うまでもなく、全て事前に打ち合わせ済みで、大森は北朝鮮、小西は満州からの引き揚げ軍人という設定だった。

 こうしてまんまと岡田更生館への入所に成功した2人は、まず施設の事務所で取り調べを受ける。当時、政府当局が危険視していた共産党員の潜入ではないかと疑われたからだ。無事に疑惑が晴れた後、送られたのは施設内の第一作業場。

ADVERTISEMENT

 ここは比較的健康状態の良い収容者が所属する部門と聞かされていたが、実際にそこにいたのは栄養失調で体が痩せ細った者ばかりだった。

 その後、大森と小西は不衛生かつ、徹底的に監視された居住スペースに送られる。食事は悪臭を放つ泥のような雑炊。徹底した監視体制。疥癬(ダニなどの寄生による皮膚感染症)を患い就寝の消灯後に体を掻きむしる入居者。

 北川の話も納得できる生き地獄だった。