「あと5分あれば、こちらの攻撃隊が発進して米空母を撃破していたのに……」。
ミッドウェイ海戦について、淵田美津雄や源田実ら旧海軍の元将校たちが語り継いできた「運命の5分間」という運命の分かれ道。しかし現在、この言い訳は誤りであったことが定説になっている。
神話を打ち砕いたのは、作家の澤地久枝氏。彼女はどのようにして従来の見方を覆したのか。大木毅氏の著書『ミッドウェイ海戦』(文春新書)の一部を抜粋し、紹介する。
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雷装から爆装へ
友永から第二撃の要請があった直後より、南雲機動部隊はミッドウェイ島の基地から出撃したアメリカの基地航空隊、B17四発重爆撃機「空の要塞」やTBF雷撃機、B26双発爆撃機などの波状攻撃を受けます。しかし、ミッドウェイの基地航空隊は戦闘機をミッドウェイ基地の防衛に回し、攻撃隊に掩護を付けなかったため、南雲機動部隊の上空直掩機の迎撃で、つぎつぎと撃ち落とされます。機動部隊の物的被害はなし。ところが、攻撃してきたのは基地航空隊で、空母から来たものではないと判断した源田航空甲参謀は、心おきなく地上を叩けるとばかりに、機動部隊に残っていた機体を兵装転換し、第二次ミッドウェイ攻撃を実施すべきだと、南雲司令長官に強く進言しました。南雲も、これに同意し、午前7時15分、兵装を艦船攻撃用から陸上攻撃用に転換せよとの命令が下達されます。
インド洋作戦のところで述べた通り、この兵装転換というのが非常に困難な作業でした。飛行機の下にもぐって、航空魚雷や対艦船用爆弾を輸送車に下ろします。本当は、それを下段甲板の弾薬庫にしまわなければいけないのですが、このときは、そんなひまはないということで傍らに放置されてしまいました。それから陸上攻撃用の新しい爆弾を運んできて、懸吊索(けんちょうさく)でそろそろと持ち上げて、機体に取り付ける、これを狭い格納庫内で(ミッドウェイ海戦では、一部飛行甲板上でも行われたようです)、1機あたり3人でやります。航空魚雷や大型の陸用爆弾は800キロあります。しかも、日本海軍の悪いところで、魚雷や爆弾の種類ごとに取り付け金具もばらばらで、統一されていない。
