感想文には「愛の深さが足らぬ このような行為は決して社会によい感化を与えるものではありません」「悪因悪果 恋愛至上主義のごときは価値を認めない」といった情死否定論が多かった。一方で「真の意味の『情死』 動機と機会を与えられたならば、大概の人々はこうした死の方法をとるであろう」という肯定・賛美の意見もあった。同書は「情死賛美の表明は、震災直前の大正文化をよく表している」と指摘している。
それにしても、何がここまでの反響を巻き起こしたのだろう。考えられる要因の1つは意外性ではないか。白樺派の文豪で人道主義から社会主義やアナーキズムに接近。私有財産所有に疑問を示す謹厳な人格者がある日突然、「絶世の美人」である17歳年下の職業婦人と「情死」。それはいま起きても、テレビのワイドショーが飛びつき、SNSなどでも大騒ぎになるのは間違いない。終戦直後の「カストリ雑誌」(大量に発行された大衆向け娯楽雑誌)にも「文豪有島武郎氏と情死した妖艶な人妻波多野秋子夫人」という読み物が登場している。
「艶福に会って真剣になってみたい」
事件直後の7月12日東朝朝刊の政治面コラム「東人西人」にこんな記事が載った。
11日午後、(立憲)政友会の最高幹部会で午餐を共にしている時、誰言うとなく、現在の社会問題として人心にかなり鋭いショックを与えた有島の情死是非論議が交わされた。結局、政治家として見るところでは、道徳上はもちろん法律上からいっても許すべからざる処置だと異議なく満場一致で決定した。
もちろん、その満場一致の仲間には加わっていたが、元田肇君は今日までの生活を顧みて「批評はとにかく、一度は僕もそんな艶福に会って真剣になってみたいと思うよ」と嘆息して幹部連の顔を見渡した。
元田は大分県出身の衆院議員で鉄道相、逓信相を経験。のちに衆院議長となる。当時65歳。メディアが「若い美人との情死」で騒ぐ中、これが世の中高年男性の本音だったのでは? 事件はそうした潜在的な願望に火をつけたのかもしれない。
もう1つは大正デモクラシーによる女性の権利拡張の動きの反映だろう。平塚らいてうによる「青鞜」の創刊(1911年)から12年。女性の社会進出はまだ小さな流れにすぎなかったが、意識は都市部を中心に徐々に変わりつつあった。波多野秋子のような女性は同性から嫌われることが多かっただろうが、それでも支持する声は一部にあったはず。加えて「恋愛至上主義」を支える、よくも悪くも“崩れていた”時代の雰囲気。「大正のロマンチシズム」はこういうところに生きていたのではないか。


