旗揚げから1年後、73年3月に日プロから坂口征二一派が新日本に合流。それとともに念願だったNET(現・テレビ朝日)によるテレビのレギュラー放送もスタート。
力道山時代からの伝統である“金曜夜8時”は新日本の時間となった。ここから新日本は上昇気流に乗っていく。
そして猪木自身もタイガー・ジェット・シンとの抗争や、国際プロのエースだったストロング小林との「昭和の巌流島」と謳うたわれた闘いを経て、マット界の頂点へと上り詰めていくこととなる。藤原は、そんな時期に猪木の付き人となった。
「猪木さんの付き人は入門2年目からやった。最初、俺は小鉄さんのカバン持ちをやってたんだよ。そしたらある日、『おい、お前は明日から猪木さんに付け』って言われてね。当時、猪木さんには栗栖(正伸)さんと(ドン)荒川さんが付いていたんだけど、急に俺が付くことになったんだ。荒川さんが1週間でクビになったから、その代わりってことでね(笑)」
付き人になって見えた「猪木の素顔」
付き人になり、藤原は猪木の素顔に触れるようになる。
「あの人はね、不思議と何かこう『助けてあげたい』みたいなことを、人に思わせるところがあるんだよ。みんなは知らないだろうけど、すごくシャイなところがあってね。人見知りだったりね。ブラジルの田舎の青年がそのまま大きくなったような、すごく純粋なところがあった。いつも大きな夢を抱いていて、真面目だったしね。
そういう性格だから、新日本に協力してくれる人が増えていったんだよ。『猪木さんのためなら、私がひと肌脱ぎましょう』みたいな感じでね。そういった人間的な魅力があったんだよな。それでいて全然、天狗になるようなことはなかった。
シャイな性格だから、昔は人付き合いもそんなに得意ではなかったと思う。だからスポンサーなんかと会う時は、必ず俺とか荒川さんを『おい、ちょっと来い』って呼んで、一緒に行くわけだ。そして酒席で俺に『おい、ちょっと一曲歌え』とか、荒川さんに一升瓶を一気飲みさせたりね(笑)。要するに、俺と荒川さんは宴会屋だよ。だからまあ、重宝されたのかもしれないね」