気がつけば拳銃が目の前に

 酒巻和男少尉、稲垣清二等兵曹が搭乗する甲標的は、伊号第二十四潜水艦に運ばれ、真珠湾の湾口から10浬(約18.5キロ)の位置に迫った。酒巻は搭乗服(飛行服)に香水をふりかけ、軍服の上に着た。1941年12月7日午後11時、発進。だが酒巻艇は、発進前の点検でジャイロコンパス(高速回転するコマの運動を用いて方位を知る羅針儀)が故障していることがわかった。

 予備の磁気コンパスもあるが、鉄の箱のような艇内ではほとんど役に立たず、正確な方位がわからない。ジャイロコンパスもなしに発進するのは目隠しをして海中を進むようなものだが、逸った酒巻はそのまま発進することを決意した。

 酒巻艇の不幸はさらに続く。ツリム(釣り合い)の調整が悪く、発進したとたん、海中から水上に躍り出てしまったのである。酒巻は人一人が腹這いになってやっと通れる狭い艇内でバラストを移動し、タンクの空気を抜いて注水し、やっと航走できる状態になるまでに数時間を要してしまった。

ADVERTISEMENT

〈真夜中に湾内へ進入沈座し、開戦時刻を待つという私たちの予定時刻は、すでに過ぎ去ろうとしていたのである。〉と、酒巻は『捕虜第一號』に記している。

 酒巻艇が航走を始めたときには、すでに夜明けが近かった。潜望鏡をのぞく酒巻の眼に、2隻の米海軍哨戒艦の姿が見えた。甲板には水兵の姿が見えるほどの近さである。米艦は爆雷投下を繰り返し、酒巻艇の至近距離で爆発した。その衝撃で気を失った酒巻がふたたび潜望鏡をのぞくと、真珠湾から大きな黒煙が上がるのが見えた。味方機動部隊の空襲が成功したのだ。酒巻艇は哨戒艦の攻撃を受けながらもさらに湾内への突入をめざすが、2度にわたって浅瀬に座礁し、唯一の武器である魚雷発射管を損傷してしまう。

 艇内にはバッテリーから出た有害ガスが充満し、気圧も急上昇する。酒巻は甲標的もろとも敵艦に体当りしようとしたが、稲垣二曹に説得され、やむなく潜水艦との集合地点をめざすことを決意した。

 浮上してハッチを開けると、すでに日が暮れていた。月明かりに島影が見える。酒巻はこれが集合地点のラナイ島だと思ったが、じつはオアフ島東部北側にあたるカネオヘだった。ジャイロコンパスがないために迷走を繰り返し、いつの間にか真珠湾から見れば島の反対側に来てしまっていたのだ。夜明けが近い頃、ついに電池が切れ、航行不能になって座礁する。酒巻は艇の爆破を決意し、爆薬の導火線に火をつけると、稲垣とともに黎明の海に飛び込んだ。岸までは200メートルほどに見えたがオアフ島北岸は波が高く、酒巻はここで稲垣を見失い、やがて自身も意識を失った。

 気がついたときには、背の高いアメリカ兵が拳銃を向けて目の前に立っていた。泳いでいるうちに搭乗服も軍服も脱ぎ捨ててしまい、捕まったときはリーフにぶつかって傷だらけの体に褌だけの姿だったという。抵抗のすべもなかった。酒巻はこうして、太平洋戦争における捕虜第一号となった。酒巻は甲標的の爆破にも失敗していた。