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1100名の日本人捕虜が蜂起した「カウラ収容所」
「カウラ収容所」とは、オーストラリア東南部、シドニーの西方約300キロの場所にあるオーストラリア軍の捕虜収容所のことである。
1944(昭和19)年8月5日未明、豪州軍の方針に不満を抱いた1100名の日本人捕虜が蜂起、暴動を起こし、捕虜231名と豪州兵4名が死ぬ大惨事となった。このとき蜂起に参加し生き残った高原希國(海軍一等飛行兵曹)は私に、「捕虜になった私たちはどうせ日本には帰れない。収容所から逃げても太平洋を泳いで帰るわけにもいかない。目的はただ、敵兵を一人でも道連れにして、日本の軍人らしく死ぬことでした」と語っている。
酒巻のいた米本土の収容所でも、捕虜の移動や労働への不満がもとで一触即発の雰囲気になることはしばしばあったが、その都度、酒巻が体を張って捕虜たちを説得し、ときには米軍にも要求を出し、最悪の事態になることを防いだ。
酒巻は、捕虜となったことを恥じて自暴自棄になる者たちに、「考えてみなさい。我々は死すら恐れなかったではありませんか。したがっていくら侮辱されても良いではありませんか。そんなことぐらい黙って見過ごしなさい」と説いた。


