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マルコムを危険視したFBI
この背景には、FBIが極秘裏に実施していた「コインテルプロ」(国内監視・破壊工作プログラム)が深く関与していた。
FBIは1953年からマルコムを監視し、長官のJ・エドガー・フーバー(1895─1972)は黒人指導者の分裂工作を積極的に推進。後に表に出たコインテルプロの文書では、FBIのみならずCIAもマルコムの国際的影響力の拡大を脅威とみなし、NOI内部の対立を煽るよう指示を出していたことが判明している。
火炎瓶による自宅襲撃から1週間後の1965年2月21日(日曜日)14時ごろ、マルコムはニューヨーク市マンハッタン、ワシントンハイツ地区のオーデュボン・ボールルーム(労働組合、政治団体、宗教団体などの集会やイベントに使われていた施設)でOAAU(前出)の集会に参加する。
会場に集まった聴衆は約400人。前方の席には妻ベティ(当時29歳。双子の子供を妊娠中)長女アターラ(同6歳)、二女カビラ(同4歳)、三女イリャサ(同2歳)、四女ガミラ(生後7ヶ月)の姿があった。
ニューヨーク市警の警官はほとんどおらず、ボディーガードがわずか4人という極めて手薄な警備のなか、15時10分ごろ、マルコムがステージに立つ。そして「平安あれ」と口にして演説を始めようとした瞬間、観客席後方から「ニガー! ポケットから手を出しやがれ!」という叫び声が上がった。