「大学へは進学していません」
弁護人:被告人はそのときどんな様子でしたか?
T:我慢して従ってくれました。悔しそうでした。
弁護人:被告人は大学に進学しましたか?
T:大学へは進学していません。
弁護人:それでは薬剤師になれませんよね。
T:中学校を卒業するころに、一生懸命諦めました。
本人の意志を無視して何でもやらせてきたT氏が、ここで被告人を薬剤師にする希望を諦めたというのが意外に思えたが、次男に期待をかけたのではないかと私は想像する。逆にいえば、被告人はこのとき父親から見放された。
「中学受験生の親はそれほど必死になるものだから……」
高校生になると父親とはほとんど目も合わせなくなり、いっしょに食卓を囲むこともなくなった。それでも被告人が自由になることはなかった。「帰る時間を制限して怒ったり、子ども部屋のドアを外して好き勝手ができないようにした」とT氏。
T氏は、補聴器を使用しており、ときどき質問を聞き返すことがあるが、弁護人からの質問には間髪を入れず答えていた。弁護人が「一呼吸置いてから答えてください」と諭す一幕も。頭の回転が非常に速いことがうかがえる。見た目にも、品のある老紳士である。
弁護人:被告人は大学に行かず、どうしたのですか?
T:働くといって家を出て、一人暮らしを始めました。
弁護人:新居の敷金礼金や家賃などはどうしたのですか?
T:私が経済的に補助しました。
弁護人:被告人はどんな仕事をしていたのですか?
T:飲食店や運送会社で働きましたが、長続きはしていませんでした。
弁護人:被告人は結婚してから、事件の起きたマンションを購入していますよね。資金はどうしたのですか?
T:私の父のお金や私の祖母からもらっていたお金を使いました。
弁護人:被告人にとって崚太君はどんな存在でしたか?
T:かわいくてかわいくて、大事に大事に、しっかり育ててやろうと思っていました。(※このとき、いつもは表情を変えない被告人が、眼鏡を外し涙を拭ったように私には見えた。)
弁護人:被告人は崚太君にどんなしつけをしていましたか?
T:一般に出て恥をかかないようなしつけをしていました。厳しく育てたと思います。
弁護人:被告人の収入で、私立中学の学費や中学受験塾の費用を負担できたのですか?
T:私立中学の学費を払うことはできなかったと思います。塾の費用は私が払うと、私から提案しました。
弁護人:被告人の崚太君に対する態度について、被告人の妻のMさんから相談を受けたことはありますか?
T:事件の一年半くらい前から5~6回ありました。
弁護人:それでどうしましたか?
T:憲吾には荒い言葉はできるだけ使うなと言いました。Mさんには叱られた崚太をケアしてあげてほしいと言いました。
弁護人:被告人の崚太君に対する態度をどう思っていましたか?
T:憲吾は、宝物の崚太のために必死だったと思います。
弁護人:被告人が持っていた包丁で崚太君が亡くなってしまいました。やり過ぎだったとは思いませんか?
T:中学受験生の親はそれほど必死になるものだから、やむを得ないと思います。
弁護人:被告人の社会復帰後どうサポートするつもりですか?
T:私も憲吾も猟奇的なところがある。精神科医の先生にお世話になってしっかり治癒してほしいと思います。(このとき、Mさんがむせび泣く声が法廷に響いた。)