『きのこのなぐさめ』(ロン・リット・ウーン 著/枇谷玲子、中村冬美 訳)

 どこかを歩いていて、きのこを見つけたとする。もしあなたならどうするだろうか? 迷わず食べる、という人はいないだろうが(きのこ狩り初心者は往々にしてこの傾向がある)、食べられるか、食べられないか、気になる人がいるかもしれない。では、そのきのこが、人生を豊かにする魔法を持っているとしたら、どうだろう?

 本書は、マレーシア人の社会人類学者、ロン・リット・ウーンによる、人生の喪失と再生と新たな旅立ち、そして、きのこの物語だ。彼女は、交換留学生としてやってきたノルウェーで、エイオルフと出会い、恋に落ち、国際結婚し、とびっきり幸せな人生を送っていた。しかし、ある夏のよく晴れた早朝に、エイオルフは職場で突然倒れ、亡くなってしまう。深い深い悲しみに打ちひしがれていた彼女は、何とはなしに申し込んだきのこ講座への参加をきっかけに、きのこに目覚めることになる。

 驚異なるきのこの世界を知ること、驚嘆すべききのこ愛好家たちとの交流によって、彼女は徐々に生きる喜びと意義を見出し、きのこワンダーランドにのめり込むほどに、内なる世界に充満していた悲しみは、いつしか薄れていく。

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 本書では、食、毒、香り、分類、採取方法、料理レシピ、そしてマジックマッシュルームに至るまで、きのこに関してのさまざまな見識や薀蓄が、淡々としつつも熱い言葉で語られる。登場する百二十種ものきのこは(巻末に索引もある)、マツタケやシイタケなど日本でお馴染みのものも多い。また、国や社会や文化の違いにするどく切り込む考察が実に面白い。単なるきのこ本では終わらせない、社会人類学者としての本領発揮だ。あるいは「文化菌類学」なる新分野の誕生と言うべきか。

 著者もぼくもそうだが、きのこ愛好家は、五感を駆使してきのこを楽しむ。本書にもとびっきりの具体例が紹介されているが、香りを楽しんだり、ずばり食べたりするので、きのこの胞子を体内に取り込む機会は間違いなく多い。

 アリに寄生してゾンビ化させ、行動を操るきのこが存在するのだが、体内に入り込んだ菌糸がきのこ愛好家を支配し、きのこの元へ誘導しているのかも。そうでなければ、きのこ愛好家があれほどきのこに熱中する理由が見つからない。

 まあ、きのこに操られる人生も悪くない。最期のときは、深い森の奥へ誘導され、人知れずきのこに分解されていくのだ……。

 きのこ初心者が、きのこ依存症となり、夢だったきのこ界の特別専門家集団の一員に。本書は、著者の濃密なきのこ王国への旅と、内なる心象世界の旅を追体験できるだけではなく、読後、森へきのこ狩りに行きたくなったときの(行きたくなること請け合い!)、優れたハウツー本としても極めて実用的だ。

 人生にもっときのこを!

Long Litt Woon/1958年、マレーシア生まれの中華系マレーシア人。社会人類学者、作家。ノルウェーの公認きのこ鑑定士。18歳のときに交換留学生としてノルウェーに留学。そこで出会ったエイオルフ・オルセンと結婚し、ノルウェーに住み続ける。

あらいふみひこ/1965年生まれ。きのこ粘菌写真家。『もりの ほうせき ねんきん』『森のきのこ、きのこの森』など著書多数。

きのこのなぐさめ

ロン・リット・ウーン,枇谷 玲子(翻訳)

みすず書房

2019年8月20日 発売