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2019/10/20

「戦犯旗」登場翌月に問題化?

 その10年後の2008年に行われた2回目の国際観艦式にも自衛艦は参加しているが、1998年と同様に少なくとも日本メディア側が認識できるような自衛艦旗への反発は起きておらず、前述の菊池氏もその記憶はないという。菊池氏が記憶している揉め事は、2012年9月に韓国が主催したPSI(拡散に対する安全保障構想)訓練「イースタンエンデバー」が最初だという。

 このPSI訓練は、韓国が日米豪の3カ国と共に大量破壊兵器の拡散を海上で阻止する国際訓練であるが、開催の直前になって韓国側が自衛艦のプサン入港を拒否している。韓国側は詳細な理由を明らかにせず、「諸般の事情」としていたが、対日感情の悪化を懸念したものと多くのメディアは報じていた。ただ、産経新聞では日本大使館筋の話として、「旭日旗を艦旗にした自衛艦の寄港に過剰に敏感になったのでは」という見方を紹介している。

 前掲の木村論文によれば、韓国メディアで「戦犯旗」という名称が初めて確認できるのは2012年の8月24日であるから、この寄港拒否の前月にあたることになり、寄港拒否になんらかの影響を与えているかもしれない。

個人のレベルで旭日旗認識の変化が

 ここまでは日韓軍事交流の公的な動きを見てきたが、自衛官一個人の体験レベルでも旭日旗を巡る韓国軍内の変化が窺われる。

海上自衛隊の自衛艦旗 ©iStock.com

 まず、日韓の軍事交流が活発になりはじめた1990年代中盤に、韓国陸軍大学に留学した陸上自衛官によるレポートが、陸上自衛隊の有志による陸戦学会の機関誌『陸戦研究』1997年1月号にあったので当該部分を引用する。

〈この間、陸大側が筆者の居住する官舎の玄関に「日本陸軍中佐 (自衛官の名前)」と表示したとおり、彼らは、筆者を日本陸軍中佐として終始接した。時には、歴史論争で激論を戦わしたが、彼らの基本態度は、「自分たちは韓国陸軍の将校であり、あなたは日本陸軍の将校である。したがって、将校は将校としての礼儀をもって接する」というものであった〉

 このように互いに立場や歴史感の違いはあれど、尊重するという姿勢を当時の陸軍大学や韓国側学生は示しており、日韓ともに相互理解への意欲はあったといえる。9年後、同じく『陸戦研究』2006年1月号には、韓国に駐在経験のある自衛官が研修で訪韓し、「長年の防衛交流の実績は着実にその成果が現れている」と実感した旨を記している。

 着実に進んだかのように見えた日韓の軍事交流であるが、韓国軍内における旭日旗認識の変化が個人レベルでも影を落としていると窺わせる記述があった。

 海上自衛隊の幹部有志による兵術同好会の機関誌『波涛』2015年10月号に、韓国の合同軍事大学(前述の陸軍大学他、海空の大学を統合して発足した教育機関)に留学中の海上自衛官によるレポートが掲載されており、その中に自衛艦旗を巡るトラブルが記されている。合同軍事大学は自衛隊における幹部学校に相当する教育機関で、中堅士官に対して高級士官養成教育を行っている。少々長くなるが、ここでは当該部分を略さず引用する。

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