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意味はなくとも「頑張って能動的に防いでいる気持ち」

 身の回りの年寄りたちの行動を見るにつけ、本当にコロナウイルスが基礎疾患のある高齢者にとって脅威とするならば、満員電車やパチンコ、銭湯・サウナあたりはさっさと営業中止させたほうがいいと思うんですよ。ライブハウスに集まった中年がガッツリ感染してるんですから。

 それでも、朝の時間帯の電車は随分とガラガラになりました。私が愛する大正義・中央線も、まさか朝普通に座れるようになってしまうとは思いもよりませんでした。それどころか、いつもは人でごった返す夕方のスーパーも、歩道はすれ違うのも困難な銀座の街並みも、まるで正月なのかと思うぐらい人がいません。こんなに人が歩いていない東京を、久しぶりに体感しました。

 そんな不自由をしても、いまの安倍政権のコロナウイルス対策については半数以上の国民がなんとなく賛成しているのは「本来防ぐことのできないウイルス感染に対して、せめて日ごろの行動でみんながちょっとずつ不便を強いられた結果、頑張って能動的に防いでいる気持ちになれる」からなんだろうなあと思います。もちろん、疫学的にはさしたる意味はないんでしょう、全校休校に。でも頑張ってるから美しい。みんなが不便で不幸だから麗しい。

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これが本来の「働き方改革」だったんですよ

 みんな、お湯を飲んでコロナウイルスを防げるなんて心から信じているわけではなく、トイレットペーパーがなくなるなんて思っているわけではない。

 でも、周りの人たちが「お湯を飲んでいる」とかトイレットペーパーを買うためにスーパーやドラッグストアで並んでいるのを見ると、「私もなにか対策しなくては」と焦る。馬鹿なことをしている自覚はあっても、万が一、本当にトイレットペーパーがなくなってしまったらどうするんだという危機感だけが残る。そういう「普通でないことが起きそう」なので、「デマと分かっているけど他の人がそうしているので対策をとろうとする」のが人間の性(さが)なのだろう、と。

 コロナ前の生活がいかにかけがえのないものであったか痛感するとともに、背伸びに背伸びをして、頑張って経済を回してきていたんだな日本人は、と思うわけです。家庭の時間が増えることで、意外とまだまだ子どもたちとの触れ合いに時間を割けていなかったのだなという反省もあります。

 思い返せば、これが本来の働き方改革だったんですよ。時短勤務にリモートワーク、ワークライフバランスも含めて。遠隔医療に、マイナンバーでマスクの売買管理。いままでしがらみがあってできなかった施策のあれこれが、突然印籠のように「コロナウイルス対策により」という必殺のお言葉で抵抗勢力がみなひれ伏し、自治体ごとにバラバラの「個人情報2000個問題」も有事の際の位置情報利活用解禁も一気に進む。