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2020/04/19

「今さえよければ、未来の自分がどうなろうと知ったことか」

 しかし、ごく短いタイムスパンでしかものを考えられないという縮減された時間意識になじんでしまうと、もう人間的成熟ということそのものが望めなくなる。「自己陶冶(とうや)」というのは、長い時間をかけてじっくりと己を熟成させることです。過去を振り返り、未来を遠く望み、今ここで自分は何をなすべきかを熟慮する。もっと成熟した人は「世界の始まり」から「世界の終わり」に至る広漠たる宇宙的な時間の中に身を置くことさえできる。己の一生が一瞬に過ぎないこと、己が踏破できる空間がけし粒ほどのものに過ぎないことを覚知して、そのはかなさ、卑小さの覚知を通じて、自分は今ここで何をなすべきかを考える。それは時間意識が四半期にまで縮減した人には無理な話です。「農業的な時間」さえ実感できない人たちに「宇宙的時間」が実感できるはずもない。ですから、「自己陶冶」という言葉そのものが死語になってしまった。陶器を焼き、金属を鋳造するようなゆったりした時間を経て、しだいに形成されてゆくものとして自分をとらえることがなくなった。

小池都知事は連日の会見で外出自粛を呼び掛けた ©AFLO

「朝三暮四」の故事が教えるように、縮減した時間意識のうちに生きる人は、「朝方の自分」が「夕方の自分」と同一であるという実感さえない。「今さえよければ、未来の自分がどうなろうと知ったことか」という刹那主義に陥り、「こんなことをいつまでも続けていたらいつかたいへんなことになる」とわかっていても「いつか」にリアリティーを感じられないので「こんなこと」をだらだらと続ける。そういう傾向のことを僕は「サル化」と呼んだのです。

コロナ禍に見る「最悪の事態」を想定しない日本人

 日本の新型コロナウィルス禍への対策のどたばたぶりは「サル化」の好個の例です。危機管理に必要なのは、過去の出来事を記憶する力と未来のリスクを想像する力です。過去の事例を振り返って、同じ失敗を繰り返さないように改めるべき点を改める。未来については「最悪の事態」を想定して、その被害を最小化する手立てを工夫する。「もう過ぎてしまったこと」と「まだ起きていないこと」にありありとしたリアリティーを感じる感受性がないと危機管理はできない。

内田樹氏の最新刊『サル化する世界』(文藝春秋)

 しかし、今の日本人はそれができません。過去の失敗のことは忘れて、そこから何も学ばない。不測の事態には備えない。プランAが失敗した場合のプランB、プランCを考えておくということをしない。「参謀本部の立案した作戦がすべて成功したら皇軍大勝利」というノモンハン、インパール以来のメンタリティから何も変わっていません。

「最悪の事態」を想定して、どの場合にどうやって被害を最小化するかという議論を始めると「縁起でもないことをするな」と遮(さえぎ)られる。そんなことを考えると、悲観的になり、意気阻喪するというのです。そして、最悪の事態に備えるという発想そのものが「敗北主義」として退けられる。「敗北主義者が敗北を呼び込むのだ」と嫌われる。僕は武道家ですから最悪の事態に備えるのが習い性ですが、日本社会ではそれが通りません。