零戦の「失敗の本質」とは何か?
――『零式艦上戦闘機』を書くにあたっては膨大な戦史史料に当たったことと思いますが、この研究で分かったことを振り返ると、何だったと言えますか?
清水 「失敗の本質」は「人の問題」だった、ということでしょうか。つまり、日本の飛行機の性能=ハード面は一般に言われるほどアメリカとの差は大きくない。その一方で、ソフト面=人が関わる飛行機の運用やパイロットの人事制度にはより重大な問題があったと思います。
――どういうことですか?
清水 よく零戦は「無敵だった」と言われがちですが、それは緒戦が奇襲攻撃の連続だったから。最初の半年は圧倒的な数的優位と攻勢優位、つまり「勝ち戦の勢い」に支えられていましたが、昭和17(1942)年の夏、ミッドウェイ海戦以降はほとんど勝ち戦がありません。飛行機の性能もパイロットの技量も、基本的にはアメリカと大差ないはずなのに、実際のスコアでは大負けしている。その原因を辿っていくと、そもそも日本の海軍航空隊という組織が持ついびつな構造や、空中戦で何より重要な射撃と回避の訓練がまともにされていなかった点、機体そのものではない「艤装」の杜撰さという点に思い至ったわけです。
――まずその、海軍航空隊のいびつな組織構造が招いたものとは何だったんですか?
清水 簡単に言えば組織の乱れですね。海軍航空隊は、米海軍の飛行隊に比べて圧倒的に将校の数が少なかった。米海軍のパイロットは基本的に将校ですし、日本でも陸軍航空隊は概ね3人に1人は将校です。一方で、帝国海軍の場合は極端に将校の割合が少ないので、1人の将校が多数の下士官を指揮しなければならなかった。
たとえばミッドウェイ海戦時の空母戦闘機隊だと、将校は1個中隊に1人かせいぜい2人くらいしかいません。着任したばかりの新米中尉がいきなり中隊長で、パイロットとしての技量は最下層なのに、兵学校出だというだけで指揮官になり、年上の熟練者たちの生死を左右することになります。
さらに将校は原則として宿舎も風呂も食事も優先で、下士官・兵とは切り分けられて「いい生活」をしていたし、一定期間の前線勤務後は後方に転勤して生き残ることが可能ですから、いいご身分だと恨みを買いやすかった。こんなアウェーな状況下にたった1人で放り込まれたら、普通、指導力なんて発揮できないですよね。
――命令も威力がないような状況だったんでしょうか。
清水 将校が前線勤務を生き残れるかどうかは、空中で部下の下士官が真剣に自分を護ってくれるか否かにかかっています。自分以外は下士官や兵ばかりですから、本気で恨まれたらどうなるか……。有無を言わさず命令で従わせるという環境にはなかったと思います。
重要なノウハウが属人的に分散していた
――2点目の射撃訓練がまともにされていなかったというのは驚きですが、それはどうしてわかったんですか?
清水 探しても探しても、海軍の射撃教範のきちんとしたものが見つからないんですよ。そもそも実弾訓練をほとんどやっていませんし、ガンカメラを利用したシミュレーション訓練も、試みた形跡があまりない。将校用のマニュアルを読んでも、書いてあるのは「人事異動で新部署に行った時に部下からハブられないようにするための技術」みたいなことばっかり。「下士官の言うことはつまらないことでもよく聞いてやれ」とか「赴任した直後は、隊内の勢力図が分かるまでは飲み会に行くな」とか(笑)。
――完全に今の会社みたいですね。
清水 空中射撃に限りませんが、重要なノウハウが属人的に分散していて、書面レベルで組織全体が共有していないのも問題ですね。この点はペーパーワークの差というか、「書類は手書き」という文化も影響していると思います。米軍はちょっとした書類でもタイプですから。手書きをガリ版刷りするという前提だと、まず字が上手な人じゃないと読めないし、印刷もできない。小さな制約かもしれないけれど、面倒くさいから書類を作らないというのは往々にして起きることですから。
――パイロットの人事制度にも大きな問題があったと論じられていますよね。
清水 端的にいうと、熟練パイロットを前線に置いたままにする編成は大きな間違いだったと思います。前線に囲い込んだままにするということは、彼らを死ぬまでそこに縛っておくことに他なりません。これは結果として彼らに「せめて自分なりにベストを尽くして1日でも長く生き残ろう」という思いを強くさせ、慣れ親しんだ「今までの自分のやり方」への執着を助長します。そうなると、新しい戦術やチームワークが生まれる余地がなくなりますよね。