「将棋のプロ棋士になりたい♪」と歌った
――将棋の他の習い事の経験は?
近藤 スイミングには通っていました。比較的長く続けたのは書道で、小4から中1まで習いました。これは今、色紙や扇子を書くのに役立っています。
――プロ棋士を目指そうと思ったのはいつ頃なのでしょう?
近藤 自分の記憶では小3くらい、母の話ではもっと前です。1~2年生のときの参観日で、将来の夢を替え歌にして歌うという音楽の授業があり、僕が「将棋のプロ棋士になりたい♪」と歌ったのを、母が後ろで見ていたそうです。奨励会は自分で受けたいと言ったような気がします。幼かったのでよく覚えていません。
――自分で覚えていないくらいの年齢で、もうプロ棋士になろうと思っていたわけですね。道場に通って実戦中心で強くなったのでしょうか?
近藤 そうですね。土日は全部、大会か道場で過ごしました。所司先生には飛車落ちや角落ちで習いましたし、同じ千葉で兄弟子の石井さん(健太郎五段)とも道場で出会い、教えてもらったりもしました。環境は良かったです。奨励会に入る前から将棋倶楽部24でネット将棋も始めました。
――将棋倶楽部24でレーティングはどれくらいでしたか?
近藤 奨励会5級のときに2900くらいで、周りの奨励会員から(それで5級なのは)おかしいと言われていました。一時期3000を超えていたこともあります。
羽生先生には指摘したことはないです
――奨励会員同士で24で指すこともあるのですか? ニコニコ生放送の解説では、関西奨励会員だった千田翔太七段と指していたことがあると話されていました。
近藤 奨励会員やプロのハンドルネームは、すぐに有名になって誰だか噂になります。僕のハンドルネームも知られていたと思います。阿部光瑠(六段)さん(と噂されるハンドルネーム)ともよく指しました。でも、実際に会ってその話はしたことはありません。
――奨励会員の役目に記録係があります。記録係をしたときの思い出を教えてください。
近藤 自分が三段のときは、優先的に記録する対局を選べたんです。強い方の記録を取りたいと羽生先生(善治九段)、そして居飛車のお手本になるような将棋を指される郷田先生(真隆九段)の記録をよくとりました。羽生先生の感想戦を間近で聞いて、読みの量がすごいなと圧倒されました。
――奨励会員が感想戦で、この手はどうですかと指摘することもあるそうですね。
近藤 僕も指摘したことはあります。「それは読んでなかった」と言われたり、その手が良かったこともありました。ただ、なかなか言いにくいものですし、特に羽生先生には指摘したことはないです。読みがすごいので、はね返されちゃいますよ。