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 英インペリアルカレッジロンドンの客員研究員に潜り込んだのを皮切りに、ドイツ、長崎、オランダ、香港と国内外を渡り歩く。ユトレヒト大学の研究員だった09年に新型インフルエンザの世界的な流行が始まると見るや、致死率や空港検疫の効果など、数理モデルを最大限に生かした試算を次々と発表した。押谷のような一線の研究者の目に留まるようになったのもこのころだ。

 公衆衛生学は、医学部という地平で見渡せば、学生が多く集まる場所ではない。とりわけ未開拓の数理モデル研究を世に広めたい、という志を抱く西浦にとって、コロナ危機が“最高の舞台”になったことは間違いない。

西浦博教授

専門家会議では「ケンカ、激論もしました」

 専門家会議副座長の尾身茂(地域医療機能推進機構理事長)にじっくり話を聞いたのは、5月22日のこと。前日には東京など5都道県を最後に、緊急事態宣言を全面解除する可能性を安倍首相自ら示唆していた。尾身はこの4か月を「がむしゃらに全力疾走という感じね」と総括した。

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 専門家会議には、尾身や押谷ら12人の構成員のみならず、西浦のような公式メンバー以外の専門家も随時参加した。バックグラウンドの異なる者たちの議論は、時に紛糾したという。「ケンカ、激論もしました。『エビデンスがない』『なんだ!』と声を荒げもした。それだけ役に立ちたいという思いが強いグループだった」と尾身は言った。

 初会合から8日後の2月24日に「ここ1~2週間が急速な拡大か収束かの瀬戸際」と会見で熱弁するなどして注目を浴びて以降、緊急事態宣言が解除されるまでに「分析・提言」を6回、「見解」を3回、「要望」を1回と、平均すれば十数日に1度は何かを発信した。尾身を核にして開く記者会見は度々2時間を超え、終了時刻は夜半を過ぎることもあった。

尾身茂副座長

クラスター対策から“接触の8割削減”へ

 尾身のスタイルは、WHO西太平洋地域事務局長を務めていた頃、押谷の上司としてSARS制圧などの指揮を執った経験に基づいていた。決定事項をロイターやAPの記者に説明すれば、あっという間に世界中に伝わったからだ。だが尾身は今回、「今回は難しかった。意図したことが正確に伝わらず、リスクコミュニケーションの難しさを感じたこともある」と振り返る。

 多くの国民がネット中継を深夜まで注視し、感染症のリテラシーが高まる一方、政策を決めているのは、政治家でなく専門家であるかのように誤解されもした。

 外国からの帰国者を起点にした感染拡大が不可避となった3月中旬以降は、クラスター対策から接触を8割削減する方法に対策を切り替え、緊急事態宣言に向かうが、その“スイッチ”について政治は対外的な説明をしてくれず、「専門家によるクラスター対策は失敗だった」という批判が次第に高まっていく。