屋敷 対局するにつれて、厳しいなと思いましたね。4局目で1勝を返せましたけど、獲れるとか思わなかったですね。力の差を感じていたので。
――1990年2月の最終局はどんな気持ちで臨まれたのでしょう。力の差を感じていても、勝てばタイトルの一番です。気負いはなかったのでしょうか。
屋敷 いや、特別なものはなかったです。それなりに善戦したと思いますけど、最後は中原先生の懐の深さにやられた感じでしょう。最終局も中盤で気づきにくい組み合わせでリードされて、自分も追い込んだけど最後は届かずという感じでした。どうやって負けるのかなと思っていたら、中原先生らしくうまくまとめられて、全体的に力負けという感じでした。
「和服は帯がギュウギュウで、お腹がきつかった」
――普段の対局はスーツですが、五番勝負は初めての和服でした。
屋敷 じつは1局目に和服が間に合わなかったので、2局目からでした。自分じゃ着れなかったので、対局する各地で着付けの方を用意していただきました。着崩れないように帯をギュウギュウ締めてくださるんですけど、お腹がきついんです。飲食どころか普通に座っていても大変なんですよ。それを当時は自分からうまくいえなかったですね。
――対局は一日がかりですしね。当時の棋聖戦は持ち時間が5時間でした。朝9時に開始されて、昼食休憩と夕食休憩は1時間ずつ、終局は21時前後になるイメージです。
屋敷 そう、対局は長いんですよ。当然、一度でも帯を解いたら着れないですから(笑)。お手洗いにいくのも大変で、和服に慣れていくのに一苦労という感じでした。いまは自分で着れますけど。
――タイトル戦は各地を転戦します。第1局から順に千葉県千葉市、愛媛県の道後温泉、神奈川県箱根、大阪府の心斎橋、静岡県下田市で指されました。また、前夜祭で様々な人と交流するなど、普段の対局にはないことがたくさんあります。17歳で高校3年生の挑戦者は関係者のなかでも最年少。記録係の奨励会員も自分より先輩ですから、気楽に話せるひとはいなかったと思います。
屋敷 いまの若い人も同じだと思いますが、日常の身のこなし方が問われるので、そのあたりをクリアしないといけないです。当然ながら、相手の中原先生は何十回も経験があり、親しい関係者も多いですからね。
「カメラマンの撮影用に初手を何度も指したんですよ」
――番勝負だとマスコミが増えて、注目度が高まってきますよね。緊張しましたか?